民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇核持ち込みの密約を暴く岡田外務大臣

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2010年3月10日新聞各紙の一面を「核密約」の文字が踊りました。非核三原則を守っているはずの日本が、核兵器搭載の米軍艦の寄港や通過を歴代の政府がこっそりと認めていた、国民を欺いていたと岡田外務大臣がドヤ顔で発表したのでした。朝日新聞です。

核密約 歴代首相ら黙認 外務省極秘メモ公開  2010年3月10日
 岡田克也外相は9日、日米の密約に関する外務省調査結果と有識者委員会の検証報告書を公表した。併せて公開された機密文書から、政府が1968年に核兵器搭載の疑いのある米艦船の寄港・通過を黙認する立場を固め、その後の歴代首相や外相らも了承していたことが判明。寄港の可能性を知りながら、「事前協議がないので核搭載艦船の寄港はない」と虚偽の政府答弁を繰り返していた。非核三原則佐藤栄作首相の67年の表明直後から空洞化していたことになる。見つからなかった重要文書も多く、有識者委は破棄の可能性など経緯調査の必要を指摘した。
 調査対象となったのは、四つの密約。60年の日米安保条約改定時の核持ち込み密約は、核搭載艦船の寄港・通過は核「持ち込み」の際に必要な事前協議の対象外とするもので、米側が主張したが、日本政府は国会答弁などで存在を否定。こうした艦船の寄港・通過はない、との説明も繰り返してきた。
 ところが、今回の調査で、68年1月27日付の東郷文彦北米局長による極秘メモが外務省の執務室から見つかった。前日にジョンソン駐日米大使に持ち込みの米側解釈を伝えられたやりとりを詳述。「政治的、軍事的に動きのつかない問題」と位置づけ、日本としては「現在の立場を続けるの他なし」と言及。表向きは核搭載艦船の寄港を認めない姿勢を示しつつ、米側解釈に異を唱えず、寄港を黙認する方針が示されていた。
 この文書は歴代首相や外相への説明に用いられており、余白には当時の佐藤首相が読んだことや、田中角栄中曽根康弘竹下登の各氏らが首相在任時に説明を受けたことを示す記載がある。また、添付された89年のメモには、首相就任直後の海部俊樹氏に説明したと記されている。
 核持ち込みをめぐり、密約の根拠とされ、政府が存在を否定していた安保条約改定時の「討議記録」の写しも見つかった。有識者委はこの文書だけでは寄港が持ち込みに当たるかはっきりせず、「密約の証拠とは言えない」とする一方、問題を意図的に回避し、「暗黙の合意による広義の密約があった」とした。
 有識者委は寄港・通過をめぐり政府が虚偽の答弁を続けてきたことについて、「うそを含む不正直な対応に終始した」と批判。岡田氏も9日の会見で、「これほどの長期間にわたり、国会、国民に対して明かされてこなかったことは極めて遺憾」と述べた。
 朝鮮半島有事の際に、在日米軍事前協議なしに出撃できるとの密約についても、根拠とされてきた非公開の議事録の写しが見つかり、有識者委は「密約」と位置づけた。
 沖縄返還後の核再持ち込み密約では、昨年末、佐藤元首相の遺族宅から佐藤氏とニクソン米大統領の署名入り合意議事録が見つかった。だが、有識者委は69年11月の両首脳の共同声明の内容を大きく超える秘密の合意はなかったなどとして、「密約とは言えない」とした。政府内で引き継ぎがなく、佐藤内閣後の拘束力もないとした。
 沖縄返還時の原状回復費の肩代わり密約では、有識者委は肩代わりはあったと認定。根拠とされた吉野文六アメリカ局長が米側と交わした文書は見つからなかったが、広義の密約にあたるとした。
 今回の調査では大量の文書が見つかり、公開された関連文書は5千ページを超える。半面、署名入りの「討議記録」やあるはずの会談記録などが見つからなかった。有識者委は核持ち込みについても「解明できないところが残った」と指摘、文書の「不自然な欠落が見られるのは遺憾」などとした。(倉重奈苗)

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http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201003090277.html(朝日)

岡田外務大臣のもと、政権交代後の2009年9月外務省内に「密約」に関する調査チームが発足、11月に提出された報告書に関し、有識者委員会が「密約」の有無を判断していたものです。調査対象の4つの「密約」と判断の結果は下記の通りです。

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調査報告書は、外務省のページで閲覧可能です。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/hokoku_yushiki.pdf(外務省)
報告書は100頁を越えるものなので、目次、はじめにの部分を紹介します。

いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書 2010年3月9日
有識者委員会 北岡伸一東京大学教授、座長)
       波多野澄雄(筑波大学教授、座長代理)
       河野康子(法政大学教授)
       坂元一哉大阪大学教授)
       佐々木卓也立教大学教授)
       春名幹男(名古屋大学教授)
目次
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2頁
序論 密約とは何か・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4頁
第一章 アメリカの世界戦略と日本・・・・・・・・・・・・9頁
第二章 核搭載艦船の一時寄港・・・・・・・・・・・・・ 19頁
第三章 朝鮮半島有事と事前協議・・・・・・・・・・・・ 47頁
第四章 沖縄返還と有事の核の再持ち込み・・・・・・・・ 57頁
第五章 沖縄返還と原状回復補償費の肩代わり・・・・・・ 81頁
補章 外交文書の管理と公開について・・・・・・・・・・ 95頁
おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105頁
付録 本委員会の活動の記録・・・・・・・・・・・・・・107頁

はじめに
いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会(以下、本委員会)は、2009年11月27日、岡田克也外務大臣の委嘱により発足した。
委嘱の内容は、以下の4つの「密約」の存否・内容に関する検証を行い、かつ外交文書の公開のあり方について提言を行うというものであった。4つの「密約」とは、以下の通りである。
 1.1960年1月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する「密約」
 2.1960年1月の安保条約改定時の、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」
 3.1972年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みに関する「密約」
 4.1972年の沖縄返還時の、原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」
これら4つのいわゆる「密約」については、2009年9月、外務省内部で組織された調査チームが11月に調査報告書を提出しており(以下、内部調査チーム、内部報告書と呼ぶ)、本委員会の任務は、この内部報告書を精査し、これら「密約」に関する委員会なりの判断を示すことにあった。
われわれは、内部報告書はそれなりに優れたものであると考えている。しかし、調査対象を省内資料に限定し、決定的な資料がない場合には判断を控えている。これは、そののちに外部メンバーからなる独立の委員会(すなわち本委員会)の調査を予定した内部調査としては当然のことではあるが、われわれは、決定的な証拠がなくても歴史研究者として確実に推定できることについては、踏み込んで判断を行うべきだと考えた。
そのため、われわれは内部調査チームが精選した最も主要な文書35点、およびこれに準じる重要性を持つ文書296点の精査から始めた。しかし、それでは不十分だと思われたため、さらに関連のある文書の探索を事務局に依頼し、また本委員会でも独自に資料や文献を収集し、関係者にインタビューを行って、調査を進めた。その中には、沖縄での資料調査(河野委員)、アメリカでの資料調査(坂元委員)、アメリカでのインタビュー(北岡委員)なども含まれている。
本委員会は、当初2010年1月中の報告書の提出を求められた。委員はすべて専門家ではあるが、外務省内部で調査にあたったメンバーと異なり、大学での本務を抱えており、また秘密文書は外務省の外部には持ち出しを許されなかったため、しばしば土曜、日曜、祝日も外務省に赴くなど、本務以外の時間をほとんど投入して、調査を行った。しかし50年を超える「秘密」であるがゆえに、調査範囲は次第に広がり、1月末には調査を終えることはできず、報告書の完成は約1カ月遅れることとなった。しかし、以上の経緯から、この時期の提出となったことについては、大方の理解を得られると信じる。この間の事務局の献身的な協力には心から感謝したい。
なお本報告書の執筆は、以下の分担によって行った。全員で議論を重ね、統一をはかってはいるが、必ずしも細部に至るまで全員が一致しているわけではない。また 4 つの「密約」は、それぞれ異なる性格を持っているので、各章の長さと構成には違いがあるが、あえて統一はしていないことを付記しておく。
はじめに、序論、おわりに 北岡
第一章 佐々木
第二章 坂元
第三章 春名
第四章 河野
第五章、補章 波多野
なお、最後の補章は、委員会の任務の一つに、外交文書の公開のあり方についての提言も含まれているところから、今回の調査の経験、及び戦後の外交記録公開に関する独自の調査を踏まえ、望ましい外交文書の管理や公開のあり方について、歴史研究者の立場からとりまとめたものである。

 岡田外務大臣としては、歴代政府が「国民に嘘をついていた」ことを強調し、政権交代の意義と民主党政権の支持率拡大を狙ったのでしょう。しかし世間は、彼らが思ったほど盛り上がらなかったと記憶しています。
その原因は、もう50年も昔のことであり、国民もうすうす感じていたことであり、国防上必要であったことにあると思います。そして「特段何も問題となる事件が起こらなかった。」これが一番大きなポイントではないかと感じます。
「過ぎてしまったことだし、何も起きてないし、何も困ってないし。」普通の国民の本音は、こんなところにあるのではないでしょうか?
歴代の政府は、米国と世論(特にマスコミ)の板挟みの中、仕方なしに偽りざるを得なかったことを、国民が心のなかで納得していたということだと思います。
民主党政権としては「自民党政権は国民を欺いていた。二度と自民党に政権はもたせない。これを明らかにした民主党政権は素晴らしい。ブラボー」という反応が欲しかったのだと思いますが・・・。この頃はルーピー鳩山総理が普天間で迷走、小沢幹事長のカネを巡る疑惑などで政権そのものがアタフタしていて、それどころではなかったように思います。

その中でも、ちゃんとブーメランの仕込みは忘れないところが民主党政権です。上記報告書の補章から一部を抜粋します。

補章 外交文書の管理と公開について 3点抜粋

①~外交文書の保存、管理という観点からすると、今回の調査を通じて、いくつか指摘すべき点がある。まず、われわれが調査の対象とした、安保条約改定時の「討議の記録」など4 件に関する文書について、いくつかの「写し」が確認されたものの、写しを含め、その存在が確認されなかった文書もあることに注目せざるをえない。

②~もう一つの指摘すべき点は、「討議の記録」等に関連する対米交渉について、当然あるべき会議録・議事録や来往電報類の部分的欠落、不自然な欠落、あるいは交渉経緯を示す文書類が存在しないために、外務省内に残された記録のみでは十分に復元できなかったことである。

③~公文書管理法の画期的な意義は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけたうえ、文書の作成から保存、国立公文書館等への移管、その後の閲覧利用まで、一貫するものとして法制上とらえた点にある。この制度の成否は、行政に携わる職員の意識改革にかかっているが、外務省がその先導役となることを期待しつつ、いくつかの提言を行ってみたい。

公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ・・・。
③の抜粋のこの文言には納得です。
公文書管理法改正案は、そもそも民主党が野党であった際に年金問題などで自民党政権を追及、2009年に成立した法律で、東日本大震災直後の2011年4月1日施行されています。
①では、所在不明の書類の存在が伺えます。民主党政権では、防衛省において3万件の機密書類を廃棄していました。→■元民主党が一番嫌がること・・・ - 民主党政権3年3か月の研究

②では、当然あるべき議事録の不自然な欠落を指摘しています。震災時の対応で、議事録を取っていないことが発覚しています。公文書管理改正法施行したばかりのことです。→◇議事録ありません - 民主党政権3年3か月の研究

このように、民主党政権では公文書管理に関して全くいいかげんもいいところでした。現在、野党のみなさんが文書改ざんなどを国会で追及されていますが、自分たちのやってきたことを考慮すると、そんな資格など微塵もないのです。
この提言が、民主党政権の方々にとって馬の耳に念仏でしかなかったことに、有識者の方々も幻滅していることと察します。

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