08:野田内閣②-e:原子力政策
原子力規制委員会設立に当たって、その人事案を事前に一部のメディアが報じました。 政権交代前、民主党が強く主張して、事前報道された人事案は国会への提示を認めないというルールが形成されていましたが、民主党政権は自らそのルールを無視する形となりま…
東日本大震災における福島第一原発の事故を受けて、原子力を管理する体制そのものが問われました。特に原発を推進する「資源エネルギー庁」と「原子力安全・保安院」が同じ経産省の管理下にあることが問題視され、「原子力安全・保安院」を経産省から環境省…
2011年7月、菅政権においてストレステストを原発の再稼働の条件としたことから、2012年5月5日に北海道泊原発が定期検査で停止すると、日本の全ての原発が止まりました。 福井県おおい町の関西電力・大飯原発3号機、4号機も定期点検でそれぞれ停止中でしたが…
反原発へと舵を切った菅政権を引き継いだ野田政権ですが、夏の電力需要に向けて原発再稼働推進派と反対派で民主党内の内輪もめを起こしていました。そしてお得意の情報隠蔽、密室の会議でコソコソと物事を進めていくのです。ここでも仙谷政調会長代行が大き…
2009年9月22日鳩山総理は、政権交代後初の外遊となるニューヨークの国連気候変動サミットで、いきなり温室効果ガス「25%削減」の鳩山イニシアチブを世界に宣言しました。こうやって大風呂敷広げるのは菅総理がG8サミットで1000万戸に太陽光発電と宣言したの…
菅総理は「脱原発」を強く推進しましたが、野田政権では現実的な選択をとり、原発の再稼働を認めます。菅氏が止めた原発を野田総理が動かす。民主党政権内での、ちゃぶ台返しです。 しかし鳩山政権及び東日本大震災前の菅政権では、原子力を強力に推進、世界…