民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇原子力規制委員会

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東日本大震災における福島第一原発の事故を受けて、原子力を管理する体制そのものが問われました。特に原発を推進する「資源エネルギー庁」と「原子力安全・保安院」が同じ経産省の管理下にあることが問題視され、「原子力安全・保安院」を経産省から環境省下に移して「原子力安全庁」を置くことが検討されました。

その後審議が続き、2012年6月には、経産省から「原子力安全・保安院」を切り離し、内閣府原子力安全委員会」と統合、環境省の外局で、国家行政組織法3条に基づく「三条条委員会」として独立性を担保、原子力工学地震などの5人の専門家で構成する「原子力規制委員会」設置法が成立します。

この法に基づき2012年9月19日「原子力規制委員会」が発足します。人事に関しては国会の同意が得られず、野田総理が同法の例外規定に基づいて委員長と4人の委員を任命しました。委員長には原子力委員会委員長代理などを務めた田中俊一氏が就任します。

人事に関しては、野田総理の権限で選んだために野党は反発します。安倍政権になってからの2013年2月に正式に国会で承認されます。また人事案が国会提示前にマスコミに報道される漏えい問題(後述)があり、何かとケチがついたスタートとなりました。

併せて事務局として「原子力規制庁」も新たに発足しました。

古い体制から新しい体制への転換について、官邸のホームページで図解でわかりやすく説明しています。一部掲載しますのでご参考ください。

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https://www.kantei.go.jp/jp/headline/genshiryokukisei.html(官邸)

 

その成立の背景を自民党塩崎恭久(衆・愛媛1区)氏が語っています。週刊現代です。

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原子力規制委員会」設置法がついに成立した背景で、最後まで続いた「省益優先」官僚の抵抗劇

塩崎 恭久 2012.6.26

 独立した原子力規制組織を新たに設置するための「原子力規制委員会」設置法案が6月20日参議院本会議で可決され、成立した。これまで内閣府にあった原子力安全委員会と、経済産業省の傘下にあった原子力安全・保安院、そして実働頭脳集団であった独立行政法人原子力基盤機構」という「三層構造」が解消され、その他の機能をも統合・一元化することで、真に安全を第一に考える組織が生まれることになった意義は大きい。

 新組織は、政府がもともと提案してきた「原子力規制庁」とは全く性格を異にするものとなったが、事実上、自民党公明党が提出した野党案を、政府・与党が「丸飲み」する結果となったのである。

 未曾有の大惨事となった東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、私は、二度とこのような事故を起こさないために、国民の安全を確保できる安全規制のための新組織が必要だと訴えてきた。そのためには、国家行政組織法上の独立行政委員会、いわゆる「3条委員会」として設置し、政府や政治から独立した専門組織にすることが肝心だと考えた。

 当初、「3条委員会」には自民党内にも抵抗があり、「原子力規制組織に関するPT」での審議や党内手続きは難航した。背後に「三条委員会」を徹底的に嫌う霞が関の抵抗があったのは明らかだった。とりわけ、エネルギー官僚からの強い警戒感が感じられた。原子力規制行政が完全に独立すれば、自分のたちのグリップが利かなくなると考えたのだろう。

 しかし、最終的には多くの同僚議員の強力な応援によって、「3条委員会」案で自民党内はまとまり、公明党とも共同で法案を提出することができた。国民の安全を第一に考え、霞が関の工作を振り切るだけの良識と見識が政治にはあったということだ。

 国会で与野党の修正協議が始まると霞が関の最後の本格的な抵抗が始まったが、与党は結局、私たちの案を「丸呑み」した。私は国民の立場で原子力の安全管理を考えるならば、野党案の丸呑み以外にないと信じてきたが、それが現実のものとなり感無量だ。政府・与党からすれば苦渋の決断であったろうが、国民の利益を第一に考えた末の決断として敬意を表したい。

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/32862週刊現代

追記)このような記事がありました。この原子力規制委員会ができるまでに菅直人政権、官庁、自民党との間でいろいろ紆余曲折があったことが伺えます。

www.taro.org

 塩崎氏は「政府・与党が自民党の案を丸飲みした」としていますが、民主党の菅氏は、自分自身の手柄と考えているようです。2013年4月の北海道新聞のインタビューに菅総理はこう発言します。そこには「脱原発」の呪いとも言うべき怨念が込められていました。

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 原発ゼロに向けた民主党の工程表は、自民党政権に代わり白紙に戻されました。「トントントンと元に戻るかといえば、戻りません。10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が原子力安全・保安院をつぶして原子力規制委員会をつくったことです。

・・・(略)

独立した規制委の設置は自民党も賛成しました。いまさら元に戻すことはできない

北海道新聞 2013年4月30日 特集『幻の原発ゼロ』

 この発言に対してニューズウィーク誌でこう語られています。

  彼のいうように、原子力規制委員会は独立性の強い3条委員会(国家行政組織法第3条に定める各省と同格の委員会)なので、どこの官庁も手が出せない。霞ヶ関の膨大な人的資源が利用できないので、委員は「個人商店」で思い思いにやっている。規制委員会は、民主党が政権を去っても「原発ゼロ」を守るために残した「バカの壁」なのだ。

https://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2014/02/post-791.phpニューズウィーク

 菅氏の発言通り、大飯原発に続く再稼働は、3年後の2015年8月・9月の九州電力川内原発1号機・2号機を待たなければなりません。

しかし逆に考えれば、福島第一原発の事故を受けて厳しくなった評価基準をクリアした原発が再稼働するわけですから、その安全性はかなり信頼できるものになったのではないでしょうか?電気事業連合会からお借りしたイラストを参考下さい。

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2018年9月現在、稼働中の原発は9機。9月6日北海道胆振東部地震において電源ブラックアウトの原因の一つが泊原発が停止中だったことを考えると、今後、審査→再稼働のスピードアップが求められるかもしれません。

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併せて、2018年の豪雨によるメガソーラーが土砂に流される被害、台風による風力発電の倒壊など、再生可能エネルギーの事故が目立ってきています。山林を削って太陽光パネルを設置するので、自然を破壊し、景観損ね、土砂災害を引き起こす原因となります。もしかすると、原発より危険な発電になっているのかもしれません。

たしかに再生可能エネルギーは理想的です。しかし今必要なのは、現実的なエネルギービジョンの論議です。サヨクの脳内お花畑の夢物語は、いらないのです。

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