民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇日韓図書協定

「さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。」

菅談話でもう一つ言及されたこの件は、「韓国の人々の期待に応えて」との通り、実際にアクションが起こされてしまいました。国民向けのアクションは遅いのに、韓国向けのアクションは素早いのです。

2010年11月14日に、日本と韓国との間で署名が行われます。官邸の発表です。

日韓図書協定の署名 平成22年11月14

本14日(日曜日)、おいて、菅直人内閣総理大臣李明博(イ・ミョンバク)大韓民国大統領の立会いの下、日本側・前原誠司外務大臣と韓国側・金星煥(キム・ソンファン)外交通商部長官との間で、「図書に関する日本国政府大韓民国政府との間の協定」(日韓図書協定)の署名が行われました。

この協定は、本年が日韓関係にとり節目の年に当たることを踏まえて未来志向の日韓関係を構築していく観点から8月10日に発表された内閣総理大臣談話を受け、政府が保管している朝鮮半島に由来する特定の図書を韓国政府に対して引き渡すことについて規定するものです。この協定に基づく図書の引渡しにより、日韓両国間の文化交流及び文化協力の一層の発展並びに両国及び両国民間の友好関係の発展に資することが期待されます。

この協定は、日韓各政府が、それぞれの国において必要な国内手続(日本については国会の承認が必要。)が完了した旨を相手国政府に通告し、遅い方の通告が受領された日に効力を生じます。

https://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201011/14nichikan.html(官邸)

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これに対し、自民党のしんどう義孝議員(衆・埼玉2区)はホームページで批判しています。

「事前調査なしの軽率な決定」

 まず、国と国との協定である限り、関係事項について事前に綿密な調査が行われるべきです。 特に、引き渡す図書の価値やその引き渡しの是非を判断するには、専門家や関係学識者からの意見聴取が不可欠ですが、呆れたことに政府は一切の調査を行っていないのです。

 国有財産の引き渡しという国家にとっての重要事項を、必要なプロセスも経ず、極めて安易に決めてしまうことは、国家の財産を管理するという政府としての基本的な認識が欠如しているといわざるを得ません。

「日本からの一方的な片務協定」

 政府は今回の協定の意義を、日本と韓国の文化交流・文化協力を通じて両国の友好関係の発展に資すること、と説明しています。

 であるならば、両国が互いに義務と責任を果たす相互協定でなければなりません。

 しかし今回の協定は、日本が韓国に一方的に図書を引き渡す片務的な内容であり、政府が主張する意義には全くそぐわないものです。

 実は韓国には、日本が引き渡しを求めるべき貴重な図書が多数残っているのです。現在、韓国の国立中央図書館には日本統治時代に搬入された数万点の日本の古典籍が保管されています。また、韓国の国家機関である国史編纂委員会には、対馬藩主の宗家から朝鮮総督府に流出した古文書約三万点が所蔵されています。これらの古文書は、今回日本側から引き渡す図書と全く同じ条件で、韓国が保管しているものです。

 「日韓の文化交流のため」の協定を結び、日本にある朝鮮王朝の古文書を韓国に引き渡すのであれば、韓国に残されている日本図書も、当然日本に引き渡しされるべきです。

 驚くべきことに、今回の交渉において日本政府は一切の要求を韓国側に行っていないのです。それどころか、要求すべき古文書の存在を全く知らなかったことが明らかになりました。

「事実を知らずに交渉した政府!」

 この韓国に残されている日本古文書の存在は、日韓の協定合意を11月9日の新聞報道で知った私が、韓国を研究している大学教授に問い合わせした中で明らかになりました。

 私は急いで外務省の担当者を自室に呼び、事実確認を行いました。

 協定署名のまさに直前である11月11日、私の事務所に来た外務省の担当者が「そんなのあるんですか」と頭を抱え、目を丸くしていたのをよく覚えています。

 今回の協定締結は、仙谷官房長官菅総理らによる 8月の唐突な総理談話で示され、調査も準備もなく政治的に一方的に決められたものを、外務省がただ言われるままに作業しただけにすぎません。

 日本が韓国に一方的に権利を供与するという、まことにお粗末な外交失態は、民主党政権政権担当能力の欠如をまたもやさらすことになりました。

http://www.shindo.gr.jp/2010/11/211(新藤氏)

というように、菅総理と仙谷官房長官による一方的に韓国を利する策謀だったと言えるようです。日本の財産を簡単に韓国へ引き渡してしまう「コンクリートからお友達へ」の民主党政権らしいやり方だと言えるでしょう。

その後

      ・2011年5月27日、参議院本会議で可決、6月10日に閣議決定し公布されます。

      ・2011年12月6日、野田政権下、「朝鮮王室儀軌」の引き渡しが行われます。

ここには「返還」ではなく「引き渡し」という言葉が用いられています。「返還」という言葉を使うと、日本が略奪したものを返すという意味で取られるからです。

韓国は日本が「朝鮮王室儀軌」を奪ったと主張しています。

投資家政治活動家村田春樹氏は、次のように説明しています。

もともと韓国で大流行していた「らい病患者」保護の為に、明治天皇がご皇室の財産を下賜されました。その事に対するお礼として、天皇に献上されたのが「朝鮮王室儀軌」です。

一方、Wikipedia「朝鮮王室儀軌」の項には、下記のように記載されています。

宮内省へ渡った経緯

1907年(明治40年宮内省の職務に「天皇及皇族実録の編纂に関する事項」が加わったことで、図書寮では「天皇皇族実録」をはじめとする実録類書の編纂を行っていた。1916年に高宗第七皇子の李垠と日本の梨本宮守正王第一女子の方子女王との祝事(結婚)が決まり、1918年(大正7年)に日本国内で結婚へ向けた納采の儀が執り行われた。また1919年1月には高宗の薨去などもあり、これらから図書寮の図書頭(長官)であった森林太郎森鴎外)は、同年6月に嘱託員の浅見倫太郎に「王公族実録」の編纂を命じた[※]。

「王公族実録」の編纂には高宗に関する記録のほか、先に亡くなっていた李熹公、李埈公をはじめとする李公家の成員に関する資料が必要であったが、李熹ら一族に関しては、高宗の親族であっても具体的な記録がほとんどなかった。浅見は朝鮮総督府に勤務していた際、李熹の日記が朝鮮にあることを聞き知っていたことから、李王職に問い合わせてみると、李公の日記や辞令などが存在していることが明らかになった[※]。

浅見は李鍝からそれらを借り受ける。また朝鮮総督府に集められ保管されていた朝鮮王朝の行事や冠婚葬祭を記した膨大な記録である「儀軌」を編纂資料として求めた。1920年大正9年森林太郎(鴎外)の名で、朝鮮総督府参事官室宛に「朝鮮図書無償譲渡依頼」を出している。こうして「儀軌」は日本へと渡った。宮内次官が総督府に宛てた「儀軌類図書譲渡の件」と記された書類には、資料は膨大な量であり、また細密画を含むため筆写は困難であり、帝国図書として永久保存したい旨が記されている[※]。

[※] 新城道彦 『朝鮮王公族―帝国日本の準皇族』 中央公論新社、2015年、178頁

 この「朝鮮王室儀軌」が皇室に入った経緯に関しては、ネット上に諸説あります。

しかしいずれにせよ、韓国が主張するような「日本が略奪した」というものではないようです。

菅談話の「韓国の人々の期待に応えて」の通り、韓国では「日本から宝物を取り返した」と大騒ぎだった模様です。あのまま民主党政権が続いていたら、無尽蔵に日本国の財産をむしり取られていたに違いありません。

そして野田政権で引き渡しが実際に行われました。◇日韓図書協定引き渡し - 民主党政権3年3か月の研究

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