このブログを書いていて、民主党の人々に感じたのは、この人たち「自己愛」が強すぎる。自意識過剰自画自賛にもほどがある。ということです。
政治家にはある程度ナルシストの面が必要だとおもいます。しかし、民主党の方々はちょっと行き過ぎているのではないかと感じるのです。なので「自己愛」と強い言葉を使っています。
東日本大震災の記事において、こう書きました。
→■民主党政権の危機管理② 俺が、私が、劇場型の危機管理 - 民主党政権3年3か月の研究
菅政権の報道は、「誰がやった」が記事となっているのです。
安倍政権では、「何ができたか」が記事となっているのです。
民主党政権では「俺がやった」が大切で、「何をやった」に重きが置かれていない。これが民主党の政権運営全般に感じることです。そしてこれは、何度も言及しますが「民主党に綱領がない」ことと深く結びついています。「日本をこうしよう!」という党の理念がなく、ただ「選挙で勝つ」ために寄り集まっている互助会集団でしかなかったのです。それが故に党としてみんなで何かを成し遂げようという意識が薄く、自分がやる。自分の手柄にする。テレビでアピールする。次の選挙のために・・・。
それは、モリカケ騒動における国会での野党のパフォーマンスにもつながっています。自己愛の典型ともいえる発言があります。安住淳氏のオフィシャルブログでの発言です。
「民主党政権の3年余り、政府や党の要職が続き、政局の中心には必ず安住の姿がありました。安住の一挙手一投足に報道陣が殺到しました。」
https://www.azumi-jun.jp/history.html(安住氏)
ご自分に酔いしれる「ちびっこギャング」の姿があります。
安倍総理の「悪夢の民主党政権」に対する、岡田克也氏の執拗な抵抗にも、自分たちのやってきた事に対する強い思い入れを感じます。「俺たちは悪くなかったんだ・・・、運がなかっただけなんだ。」
○岡田委員 立憲民主党・無所属フォーラムの岡田克也です。
先般の自民党大会で、総理は、あの悪夢のような民主党政権が誕生したというふうに言われました。もちろん、民主党政権時代の反省は我々にあります。しかし、政党政治において頭から相手を否定して議論が成り立つのか。私たちは、政権時代に、その前の自民党の歴代政権の重荷も背負いながら政権運営をやってきました。そのことを考えたら、あんな発言は私は出てこないはずだと思います。撤回を求めます。
一回、自分自身で反省、自己批判してみたらいいと思うのですが・・・。
「自己批判しろ!」は、サヨクが弱いものに対して恫喝的に叫ぶもので、決して自分ではしないのです。自己批判どころか、マスコミが必要以上に手柄を取り上げ、失策を「報道しない自由」で擁護するので、自己愛は次々に増幅していくのです。彼らが増長する裏には、マスコミによる貢献も少なくないのです。
党を大切に思う想いという意味では、鳩山由紀夫氏が一番だったのかもしれません。
自画自賛の塊だった鳩山氏は「最低でも県外」を実現できず沖縄県民にお詫びをして総バッシングを浴びて退散し、自分の無能さに少し気づいたようです。鳩山氏は、菅おろしの騒動時、菅氏と交わした覚書の一番に「民主党を壊さないこと」を入れました。
私は少しだけ感動しました。「民主党」に対して、自分がつくった党という想いがあって、すごく愛おしい宝物のような存在だったのでしょう。国民には悪夢でしたが・・・。
→◇だまされるルーピー鳩山、だまされるマスコミ - 民主党政権3年3か月の研究
現在、鳩山氏は元総理の立場で、あちこちで反日活動をしています。困った存在になっています。天然ピュアなポッポだけに厄介な存在です。
対照的なのは菅直人氏です。菅氏は総理退任時の挨拶でこう述べています。
「私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは後世の人々の判断に委ねたいと思います。」
ここには「俺が今までで最高の総理大臣だ。まわりに見る目がなかったんだ。」との思いが感じられます。
その菅氏は立憲民主党の最高顧問として元気です。そしていまもなお「自分が最高の総理だった」と反省の色も見せず反安倍活動にいそしんでいるのです。
このように民主党政権を担われたみなさまは、自己愛が強すぎます。蓮舫氏の「二番じゃだめなんですか?」も、枝野氏の襟立てる官房長官も・・・自画自賛を通り越して自己陶酔にまで達しているかのように感じます。民主党政権は、現在でもいろいろなところで「悪夢」「最悪」だったと批判されていますが、当事者のみなさまは「そんなことあったの?」とあたかもあの政権がなかったかのごとく、元気に安倍政権叩きに精を出しています。その姿を見ると、この人たちはきっと今でも「あの頃の自分は正しかった、素晴らしい政権だったが運がなかっただけ・・・」と思っているに違いないと確信してしまうのです。