民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇さよなら、菅総理

「私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは後世の人々の判断に委ねたいと思います。」

3つのお願い=法案が8月26日に成立し、菅総理が退陣を発表しました。その際、記者会見の冒頭で述べた発言の中の一言です。先の国会での「間違ったから辞めるんじゃない」発言も考慮すると、菅氏は、「本当に自分が最高の総理であった、それは後世に評価される。だから今、誰が何と言おうと、私はへこたれない。」と本気で思っていそうです。

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その退陣にあたっての記者会見の冒頭発言です。少し長いですが、一応全文掲載しておきます。あれもやった、これもやったと自身の成果の自慢と震災対応などに対する言い訳に終始する空き缶のように中身の無い発言でした。

菅総理冒頭発言】

 国民の皆さんに私からご報告をすることがあります。本日公債特例法、そして再生可能エネルギー促進法が与野党の皆さんの努力によって成立をいたしました。これで第2次補正予算を加え、私が特に重要視していた3つの重要案件が全て成立したことになります。これにより、以前から申し上げておりましたように、本日をもって民主党の代表を辞任し、そして新代表が選出をされた後に総理大臣の職を辞することといたします。 

 まず、国民の皆さんに申し上げたいと思います。昨年の6月の8日に総理大臣の職に就いて以来、国民の多くの皆さまから多くの叱咤激励を頂きました。温かい激励、厳しい批判、その全てが私にとってはありがたく嬉しいものでありました。国民の皆さまには心から感謝を申し上げます。また、ともに新しい政治への変革に挑戦してきた皆さんにも感謝をいたします。閣僚をはじめ、政務三役、政府職員、与党・野党の国会議員。そして全国の党員サポーター。こうした皆さんの支えがなければ、菅政権は一歩も進むことはできませんでした。

 政権スタートの直後、参議院選の敗北により、国会はねじれ状態となりました。党内でも昨年9月の代表選では全国の党員を始め多くの方々からご支持を頂き、再選させていただきましたけれども、それにも関わらず厳しい環境が続きました。そうした中で、とにかく国民のために必要な政策を進める。こういう信念を持って1年3カ月、菅内閣として全力を挙げて内外の諸課題に取り組んでまいりました。退陣に当たっての私の偽らざる率直な感想は、与えられた厳しい環境の下でやるべき事はやったという思いです。大震災からの復旧・復興、原発事故の収束、社会保障と税の一体改革など、内閣の仕事は確実に前進しています。私の楽観的な性格かもしれませんが、厳しい条件の中で内閣としては一定の達成感を感じているところです。

 政治家の家に生まれたわけでもなく、市民運動からスタートした私が総理大臣という重責を担い、やるべきことはやったと思えるところまでくることが出来たのは国民の皆さん、そして特に利益誘導を求めず応援してくださった地元有権者の皆さんのおかげです。本当にありがたいと思っております。私は総理に就任したとき最小不幸社会を目指すと申し上げました。いかなる時代の国家であれ、政治が目指すべきものは国家国民の不幸を最小にとどめおけるかという点に尽きるからであります。そのため、経済の面では雇用の確保に力を注いで参りました。仕事を失うという事は、経済的な困難だけではなくて、人として、人間としての居場所と出番を失わせることになります。不幸に陥る最大の要因の1つであります。私が取り組んだ新成長戦略も雇用をどれだけ生み出すかということを、そうした観点を重要視して作り上げたものです。また、さまざまな特命チームを設置して、これまで見落とされてきた課題。例えば硫黄島からの遺骨帰還や、難病・ウィルス対策、自殺・孤立防止などにも取り組んで参りました。

 そして3月11日の大震災と原発事故を経験し、私は最小不幸社会の実現という考え方を一層強くいたしました。世界でも有数の地震列島にある日本に多数の原発が存在し、一旦事故を引き起こすと国家国民の行く末までも危うくするという今回の経験です。総理として力不足、準備不足を痛感したのも福島での原発事故を未然に防ぐことができず、多くの被災者を出してしまったことです。国民の皆さん、特に小さいお子さんを持つ方々からの強く心配する声が私にも届いております。最後の一日までこの問題に力を注いでまいります。

 思い起こせば、震災発生からの1週間、官邸に泊まり込んで事態の収拾に当たっている間、複数の原子炉が損傷し、次々と水素爆発を引き起こしました。原発被害の拡大をどうやって抑えるか、本当に背筋の寒くなるような毎日でありました。原発事故は今回の様に、一旦拡大すると、広範囲の避難と長期間の影響が避けられません。国家の存亡のリスクをどう考えるべきか。そこで私が出した結論は、原発に依存しない社会を目指す。これが私の出した結論であります。原発事故の背景には、『原子力村』という言葉に象徴される原子力の規制や審査の在り方、そして行政や産業の在り方、更には文化の問題まで横たわっているということに改めて気付かされました。そこで事故を無事に収束させるだけではなく、原子力行政やエネルギー政策の在り方を徹底的に見直し、改革に取り組んでまいりました。原子力の安全性やコスト、核燃料サイクルに至るまで聖域なく国民的な議論をスタートさせているところであります。総理を辞職した後も、大震災、原発事故発生の時に総理を務めていた1人の政治家の責任として、被災者の皆さんの話に耳を傾け、放射能汚染対策、原子力行政の抜本改革、そして原発に依存しない社会の実現に最大の努力を続けてまいりたい、こう考えております。

 大震災と原発事故という未曾有の苦難に耐え、日本国民は一丸となってこれを乗り越えようといたしております。震災発生直後から身の危険を顧みず、救援・救出、事故対応に当たる警察、消防、海上保安庁自衛隊、現場の作業員の皆さまの活動を見て、私は心からこの方々を誇りに思いました。とりわけ自衛隊が国家、国民のために存在するという本義を全国民に示してくれたことは、指揮官として感無量であります。そして、明日に向けて生きようとする被災地の皆さん、それを支える被災自治体の方々、更には温かい支援をくださっている全国民に対してこの場をお借りして心から敬意と感謝を表したいと思います。

 大震災において日本国民が示した分かち合いと譲り合いの心に世界から称賛の声があがりました。そして世界の多くの国々から、物心両面の支援が始まりました。必ずや震災から復興し、世界に恩返しができる日本にならなくてはならない。このように改めて感じたところです。特に、大震災に当たってのアメリカ政府によるトモダチ作戦は、改めて日米同盟の真の重要性を具体的に証明してくれました。安全保障の観点から見ても、世界は不安定な状況にあります。我が国は、日米同盟を基軸とした外交を継続し、世界と日本の安全を守るという意志を強く持つ必要があります。5月に日本で開催した日中韓サミットでは、両国の首脳に被災地を訪問していただき、災害や困難に直面した際に互いに助け合うことの重要性を共有できたと思います。

 また今、世界は国家財政の危機という難問に直面しています。私は総理就任直後の参議院選挙で社会保障とそれに必要な財源としての消費税について議論を始めようと呼び掛けました。そしてその後も議論を重ね、今年6月、改めて社会保障と税の一体改革の成案をまとめることができました。社会保障と財政の持続可能性を確保することはいかなる政権でも避けて通ることができない課題であり、最小不幸社会を実現する基盤でもあります。諸外国の例を見てもこの問題をこれ以上先送りにすることはできません。難しい課題ですが、国民の皆さまにご理解を頂き、与野党で協力して実現してほしい。切に願っております。

 私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは後世の人々の判断に委ねたいと思います。私にあるのは目の前の課題を与えられた条件の下でどれだけ前に進められるか。そういう思いだけでした。伝え方が不十分で、私の考えが国民の皆さまに上手く伝えられず、また、ねじれ国会の制約の中で円滑に物事を進められなかった点は、大変申し訳なく思っています。しかしそれでもなお私は、国民の間で賛否両論ある困難な課題に敢えて取り組みました。それは団塊世代の一員として、将来世代に私たちが先送りした問題の後始末をやらせることにしてはならないという強い思いに突き動かされたからに他なりません。持続可能でない財政や、社会保障制度、若者が参入できる農業改革、大震災後のエネルギー需給の在り方などの問題については、若い世代にバトンタッチする前に適切な政策を進めなければ私たち世代の責任を果たしたことにはなりません。次に重責を担うであろう方々にもこうした思いだけはきちんと共有してもらいたいと、このことを切に願っているところであります。以上申し上げ私の退任の挨拶とさせていただきます。

 https://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201108/26kaiken.html(官邸)

背筋が凍る毎日だったのは、菅総理あなたのせいなんですけどね。自分の瑕疵をねじれ国会のせいにして、さらには反原発へ結びつける狡猾さは、さすが菅総理です。すべては自画自賛日中韓サミットを取り出して中国・韓国を持ちだすところもぬかりありません。

 

とにかく空き缶は去りました。辞めない辞めないと解散剣をちらつかせながら天岩戸に隠れた菅総理を、何とか辞めさせようと与党、野党、マスコミが周囲で踊りまくった喜劇でありました。そして要望を全てのませた菅氏は、満足げに官邸を去るのです。

さよなら、菅総理。あばよ、空き缶。

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