民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇仙谷官房副長官、どさくさまぎれの復活

菅政権は、震災のどさくさまぎれに問責を受けた仙谷氏を官房副長官に抜擢します。

民主党政権では、不祥事起こそうが、問責で大臣辞任しようがおかまいなしに復活するのです。人材がいないというのもありますが、責任感が薄いというか国民を舐めているとしか思えません。「俺は何も悪いことしていない。ちょっとツキがなかっただけさ。俺の能力を国は必要としているんだ。」一人一人がそう思い込んでいるのです。

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震災のどさくさまぎれに官房副長官としてあの仙谷氏が復活します。認証式は、全員平服のスーツ姿、皇居・宮殿「松の間」において最低限の照明で行われました。

枝野官房長官が表の顔なら、裏の顔は仙谷氏ということのようです。日経新聞の枝野氏のインタビューです。

枝野幸男氏「仙谷氏、実態は第2官房長官だった」 2014/7/6

2011年3月の東日本大震災発生の6日後、菅直人首相は官房副長官仙谷由人氏を起用した。当時、官房長官を務め、仙谷氏とともに震災対応にあたった民主党枝野幸男衆院議員に人事の舞台裏などを聞いた。・・・(略)

「仙谷さんはいろんな経緯で官房長官を退かれたが、あれほどの国家的危機のなかでは『さすがに野党もつまらないことは言わないだろう。足を引っ張りはしないだろう』という判断が(官邸内に)あったと思う。仙谷さんは実態としては『第2官房長官』だった。菅直人首相は長官の役割を2人に分担させたということだろう」

「首相の再起用の判断は素早かった。ただ首相は仙谷さんに副長官をお願いすることで『枝野がやりにくくならないか』と気にしていた。私は『こんな局面だし業務を分担しないと自分もまわらない』と思い、『仙谷さんがやりにくくなければ私は気にしませんよ』と菅さんに話した」・・・(略)(聞き手は政治部 辻隆史)

https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0203A_S4A700C1000000/(日経)

週刊現代では次のように書かれています。菅総理ではどうにもならない。官僚も仙谷氏の登場を待っていたのかもしれません。

辞めることもなく、辞めさせることもできない「逃げ菅」首相という不幸 2011.3.28

しかし、仙谷が20日首相官邸に各府省次官を呼び、「目詰まりを起こしているところがあれば、私が責任を持って対処するので言ってほしい」と要請した。仙谷が責任を持つ姿勢を示したことによって、官僚機構がようやく機能するようになった。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/2329週刊現代

また、仙谷メモなるものがしんぶん赤旗に紹介されていました。「マニフェスト安楽死」「次に向けての陣痛」震災を他人事のように見ているショッキングな言葉が続きます。この文書が本当ならば、仙谷氏は東日本大震災を自分たちの失政を覆い隠すためのチャンスと捉えていたことになります。菅総理は、間違いなく自らの延命のチャンスとしていたことから、民主党政権そのものが、そういう空気に包まれていたと言えるでしょう。だから、一人一人が張り切り過ぎて空回りしたのです。しんぶん赤旗からです。

民主党 震災直後の「仙谷メモ」 2011年11月7

・・・(略)

▶…ここに一つのメモがあります。A4で3枚。2011年3月23日の日付、「『21世紀日本の国づくり』構想について」のタイトルがついています。東日本大震災発生から13日目、政府として震災・原発事故後の日本をどう構想するか、その大まかな方向性を記しています。首相官邸の一部で「仙谷メモ」と呼ばれます。1週間前に内閣官房副長官として首相官邸入りした仙谷由人民主党代表代行(当時)が書いたとされます。

 箇条書きの一項目に民主党マニフェストのリストラと“安楽死”」とあります。大震災を契機に09総選挙マニフェストを、なんと震災のどさくさに紛(まぎ)らせて死文化させるというわけです。

▶…「メモ」はこう続けます。東日本大震災は「次に向けての『陣痛』と捉えるべき」、目指すは「国家の再生であり新生」―。そのために財政・社会保障一体改革、開国・グローバル化を推進する「政党連立」、「衆参連携」による「『救国内閣』的な決断と熟議」の政治体制をめざすとしています。・・・(略)

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-07/2011110702_01_1.html赤旗

そして「チーム仙谷」なるものが発足します。ここに名前が上がっている長島昭久氏は、2018年の仙谷氏の死去にあたり「『チーム仙谷』で一冊の本が書ける」と涙しています。

4月11日の東京新聞が「『チーム仙谷』再稼働主導」と大きな見出しで報道しました。

あれっ?菅総理脱原発と全く逆方向だし、民主党内で原発賛成派、反対派がごっちゃになってしまいました。俺がこの国を救うんだ。新しい船頭の誕生です。

この後、「チーム仙谷」の名を聞くことは、ほとんどなかったように思います。長島氏の言う「一冊の本が書ける」成果とはいったいどのようなものだったのでしょう?政府を混乱させただけではないでしょうか?その混乱をつくって仕事していたと勘違いしている長島氏の姿が浮かびあがってきます。。

「チーム仙谷」発足 私的な被災地再建ビジョンを検討 2011年3月11

仙谷由人官房副長官民主党代表代行)は18日、東日本大震災の被災地復興対策を中長期的視点で検討し、被災地再建ビジョンをまとめる私的チームを設置した。

メンバーは古川元久官房副長官長島昭久元防衛政務官吉良州司元外務政務官松井孝治官房副長官の4人で、増員も想定している。

 「チーム仙谷」は、日本の戦後復興など過去の施策を踏まえて復興策を練り、仙谷氏へ助言する。大津波対策や原子力発電政策のあり方も論議するという。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110318/plc11031816250037-n1.htm(産経・リンク切れ)

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