「支持率にマイナスはないんでしょ?」
低迷する菅政権の支持率に対して、菅総理の奥様の伸子氏は、こう言って菅総理を叱咤したそうです。辞めない総理の裏側には、とても強い奥様の存在があったようです。週刊ポスト2011年7月15日号と産経新聞の記事です。
首相公邸に20人招待の菅伸子夫人 寝室で首相のブリーフ披露 2011.07.05
バッシングにも耐え、「やめろ!」のプレッシャーもものともしない菅直人首相だが、そんな首相を支えるのが伸子夫人だ。そんな彼女は、有力企業の経営者や官僚OBなどで構成される「親睦会」のメンバー約20人をある日の昼下がり公邸に招いた。
昼間だったので来客には紅茶やコーヒーが振る舞われたが、茶菓子の消費期限が切れていて皆で大笑いになった。
キッチンの大きな冷蔵庫の中には果物や野菜がぎっしりと詰まっていたが、バナナは腐りかけていた。参加者は「ここに籠城しているような生活なんだと、ふいに憐れにも感じた」と感想を語る。
伸子夫人は、一行を夫妻の寝室にも案内した。シングルベッドが2つ、傍らには菅総理のブリーフが干してあった。そして嬉しそうな表情で、
「ここは居心地がいいのよ。出たくないわ」
そう口にしたのだという。
夫が退陣表明(6月2日)した後も、伸子夫人はそれを認めていない。毎日新聞の取材に、「これまで首相がいともあっさり、簡単に辞めちゃった方が不思議です」(6月9日付)と答えている。
菅氏の最後の粘り腰の源泉は、この夫人の権力欲にあるようだ。
https://www.news-postseven.com/archives/20110705_24853.html(週刊ポスト)
「あの人はずっと楽でした」 伸子夫人、記者団に語る。2011年8月13日
菅直人首相の伸子夫人は12日夜、都内の居酒屋で首相と会食後、記者団にこう語り、夫の首相としての生活について「きついことは一回もなかった気がする」と振り返った。
首相はこの日、夫人や友人らと赤坂の居酒屋で会食した後、秘書官と2軒目の居酒屋へ。首相退席の約1時間後に店を出た夫人は記者団に「今後は政治家にはストレステスト(耐性検査)が必要だ。それをクリアできないと首相はできない」と語った。
与野党から退陣を迫られてきた夫を見守ってきた夫人にとってはこちらが本音だったのか。
退陣後の9月以降、首相は何をするのかと尋ねられると「そんな先のことは考えていない。日雇い労働者が政治家だから」とはぐらかした。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110813/plc11081301070003-n1.htm(産経 リンク切れ)
奥様に総理の仕事は「楽だ」と言われてしまうんですからね。本気で仕事していなかった証でしょう。「楽らく」というより権力を「楽しんで」いたんじゃないでしょうかね?ご夫婦そろって・・・。
お二人は学生運動家同士でもありました。やっぱり伸子さん一味違います。週刊ポスト2011年8月12日号です。
菅首相は東工大時代に学生運動で名を馳せた。後には、旧ソ連からの資金提供で活動していたとされる「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」に伸子夫人と共に参加していたといわれている(菅氏自身がそれについて語ったことはない)。麻生太郎・元首相が演説で、「菅直人はベ平連、仙谷由人は全共闘」と批判したこともある。
「菅さんは学生時代から既存の新左翼を嫌い、自分で新たなセクトを作ることに熱心だった。ベ平連も“新・新左翼”という意味では菅さん好みといえる。政治を志してからも、伸子夫人が各地の学園祭に『やきそば屋台』を出店して独自の活動資金と活動家を集めてきた。共産党や社会党のような政治組織化した左翼ではなく、ゲリラ的な団体を足場にしてきた政治家ではある」(学生時代からの知人)
https://www.news-postseven.com/archives/20110801_27202.html(週刊ポスト)
ご夫婦そろって学生運動の延長線上で政治家やって、総理を務めていたように思えます。それにしても、あの総理に、この奥様・・・。ですね。