民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇菅総理の評価

菅氏は1世紀以上前の日露戦争講和条約交渉にあたった小村寿太郎外相を引き合いに「小村も交渉直後はたたかれた」と話す。(下記インタビューより)

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あたかも自分が後世で高く評価されるとでも言いたいげな菅直人氏です。

「寝言は寝て言え!」と叫びたくなってしまいます。福島第一原発の吉田所長が仰っていたように、ただのおっさんです。嘘つきで、卑怯で、自己保身と責任逃ればかりしているおっさん以外の何ものでもありません。個人的には国賊売国奴と呼びたいです。

日経新聞が2016年の震災の日に菅直人氏のインタビューを報道しました。

 危機に揺れた宰相 原発事故に積極介入、菅氏に賛否 政治 真価は 2016/3/11

「評価は歴史の判断に任せたい」東日本大震災当時、首相だった民主党菅直人氏は日本経済新聞のインタビューで語った。菅氏の事故対応には今も賛否が渦巻く。

震災発生後、福島第一原発の全電源喪失がわかると、首相執務室にはホワイトボードが運びこまれた。電源車が何台あるのか。どこを走っているのか。集まる情報はボードに手書きで加えられた。

東京工業大卒の理系宰相がとった決断は個別の問題に細かな指示を差し挟むことだった。内閣審議官だった下村健一氏のノートには「なぜ非常用ディーゼルエンジンまで止まるんだ」と語る菅氏の言葉が残る。

原子炉への海水注入、東電本店への電撃訪問――。菅氏は一貫して積極的な「介入」を繰り返した。「日本が崩壊するかもしれない瞬間だった」と振り返る菅氏。一連の行動は適切だったのか。 ドイツ・ルードヴィヒスハーフェン経済大のフランク・レーヴェカンプ教授は一定の理解を示す。「震災時に菅氏が官邸でずっと待機していたらどうだったのか。信用に足るとは言えない東電本店からの助言に基づいて数々の決断を下さねばならなかった」

震災発生翌日の3月12日。菅氏は福島第一原発自衛隊ヘリで視察した。「政治的に批判される」。当時、官房長官だった枝野幸男氏はこう反対したが、菅氏は押し切った。法治国家は人間がつくった法律に基づく統治の枠組みだ。人知を超す事態が起きたときには、宰相の現場介入もありうるとの考えに基づく。

だが、国会の原発事故調査会の報告書は、この視察を「指揮命令系統の混乱を拡大する結果となった」と結論づけた。

宰相が現場に介入することがあるとしても「良い介入」ではなかったとの見方だ。日大の福田充教授は「専門家の判断を仰ぎ総合的な指示を出すのが最高司令官」と批判。政策研究大学院大の飯尾潤教授は「情報が上がってくるような体制を整えていなかった菅氏自身の問題もある」と言う。

最善の策の解釈は時代でうつろうこともある。菅氏は1世紀以上前の日露戦争講和条約交渉にあたった小村寿太郎外相を引き合いに「小村も交渉直後はたたかれた」と話す。歴史はどう判断するか。

 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO98208210Z00C16A3970M00/(日経)

「人知を超す事態が起きたときには、宰相の現場介入もありうるとの考えに基づく。」

菅さん、あなたの言動こそが人知を超えた身勝手な思いつきに基づくものであり、それが国民をどん底に落とし込んだのです。

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