2014年9月、内閣官房から吉田調書を含む「政府事故調査委員会ヒアリング記録」が正式に公開されます。それは、非公開を希望していた東京電力福島第1原発所長吉田昌郎氏本人の遺志には反したものでした。
この吉田調書を紹介するにあたり、コンパクトにわかりやすくまとめられた産経新聞の記事がありました。【吉田調書抄録(1)~(10)】です。こちらから吉田所長の熱い言葉をいくつかお借りしたいと思います。
吉田調書抄録(1)2014.8.18のURLです。
https://www.sankei.com/politics/news/140818/plt1408180012-n1.html
【吉田調書抄録からの抜粋】
--(菅総理は)何をしに来られていたんですか
吉田氏「何か知らないですけれどもえらい怒ってらしたということです」
〈菅氏は「撤退したら東電は百パーセント潰れる」と発言〉
吉田氏「ほとんどわからないですけども、気分悪かったことだけ覚えていますから、そういうモードでしゃべっていらしたんでしょう。そのうちに、こんな大人数で話をするために来たんじゃない、場所変えろとか何か喚(わめ)いていらっしゃるうちに、この事象になってしまった」
〈事象とは2号機の格納容器の圧力抑制室の圧力計が下がり、4号機の原子炉建屋が爆発したこと〉
--テレビ会議の向こうでやっているうちに
吉田氏「そうそう。ですから本店とのやりとりで退避させますよと。放射能が出てくる可能性が高いので一回、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配させたんです」
--細野(豪志首相補佐官)さんなりに、危険な状態で撤退ということも(伝えてあったのか)
吉田氏「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然操作する人間は残すけども、関係ない人間はさせますからといっただけです」
--退避をめぐっては報道でもごちゃごちゃと
吉田氏「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけども、現場は逃げていないだろう。それをくだらない、逃げたと言ったとか言わないとか菅首相が言っているんですけども、何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。注水とか最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。場合によって事務の人間を退避させることは考えていると言った」
--本店から逃げろというような話は
吉田氏「全くない」
--「撤退」という言葉は使ったか
吉田氏「使いません、『撤退』なんて」
--使わないですね
吉田氏「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
--政治家ではそういう話になってしまっている
吉田氏「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」
--ある時期、菅氏は自分が東電が逃げるのを止めたみたいな(発言をした)
吉田氏「辞めた途端に。あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。事故調としてクレームつけないといけないんではないか」
〈政府事故調は菅政権が設置を決定。23年6月7日の初会合で菅氏は「私自身を含め被告といったら強い口調だが」と発言した〉
--この事故調を自分(菅氏)が作っている
吉田氏「私も被告ですなんて偉そうなことを言っていたけども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎と言いたいですけども。議事録に書いておいて」
▶海水注入
--海水注入開始はこの時間でいいのか
吉田氏「いろいろと取り沙汰されているが、注入した直後に官邸にいる武黒(一郎・東京電力フェロー)から電話がありまして、官邸では海水注入は了解していないと。だから海水注入は停止しろという指示でした。本店と話をして、やむを得ないというような判断で止めるかと。うちはそんなことは全く思っていなくて試験注入の開始という位置づけです」
「ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでしたから、いつ再開できるか担保のないような指示には従えないので私の判断でやると。担当している防災班長には、中止命令はするけれども、絶対に中止してはだめだという指示をして、それで本店には中止したという報告をしたということです」
--海水注入は所長に与えられた権限と考えるのか
吉田氏「マニュアルもありませんから、極端なことを言えば、私の勘といったらおかしいんですけれども、判断でやる話だと考えておりました」
--それを止めろというのは雑音だと考えるのか。本店との話し合いは
吉田氏「何だかんだいうのは、全部雑音です。本店の問い合わせが多いんです。サポートではないんですよ。途中で頭にきて、うるさい、黙っていろと、何回も言った覚えがあります」
▶菅総理の現地視察
--いつごろ首相が来られるという話になったのか
吉田氏「時間の記憶がほとんどないんです。(午前)6時前後とかには来るよ、という情報が入ってきたんだろうなという」
--何のために来ると
吉田氏「知りません」
--首相は所長に対し何を話したのか
吉田氏「かなり厳しい口調で、どういう状況だということを聞かれたので制御が効かない状況ですと。津波で電源が全部水没して効かないですという話をしたら、何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだということを班目(まだらめ)(春樹原子力安全委員長)先生に質問したりとか」
▶ベント
--すごい階層がある
吉田氏「一番遠いのは官邸ですね。大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから。そんなもんじゃない」
--午前6時50分に(海江田万里)経済産業相が法令に基づくベントの実施命令を出した経緯は知っているか
吉田氏「知りませんけれども、こちらでは頭に来て、こんなにはできないと言っているのに、何を言っているんだと。実施命令出してできるんだったらやってみろと。極端なことを言うと、そういう精神状態になっていますから。現場では何をやってもできない状態なのに、ぐずぐずしているということで東京電力に対する怒りがこの実施命令になったかどうかは知りませんけれども、それは本店と官邸の話ですから、私は知りませんということしかないんです」
--菅首相が第1原発に来て帰っていく上空をベントで(放射性物質を含む気体を)どんどん吹かしていくのはどうなのかということから、操作を遅らせたという判断は
吉田氏「全くないですね。早くできるものはかけてしまってもいいんじゃないですかくらいですから。総理大臣が飛んでいようが、何しようが、炉の安全を考えれば早くしたいというのが現場です」
▶三号機の爆発を受けて
吉田氏「(再開の)『ゴー』かけて、よしじゃあという段取りにかかったぐらいで。自衛隊の方も行かれていて準備したらすぐ『バーン』という感じだったと聞いています。最初、現場から『四十何人行方不明』という話が入ってきた。私、そのとき死のうと思いました。四十何人亡くなっているんだとすると、そこで腹切ろうと思っていました」
・・・
吉田氏「そこで、全員集めて『こんな状態で作業を再開してこんな状態になって、私の判断が悪かった。申し訳ない』と話をして、現時点で注水が止まっている、放っておくともっとひどい状態になる。現場はがれきの山になっているはずだから、がれきの撤去、注水の準備に即応してくれと頭を下げて頼んだんです。そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」
▶政府への不信
--保安院からの指示として、パネルを具体的にどうしようかという話はしていたのか 吉田氏「していました。パネルを開けないといけない。だけれども、(19年の)中越沖地震で(柏崎刈羽原発のパネルが)がたっと落ちて開いてしまったから、開きづらい方向に改造していたんです。どうしようもないわけですよ。だったら保安院来てやれ、馬鹿野郎と言いたくなるわけですよ。こんな腐った指示ばかりしやがってと。いまだにこのときのことはむかむか来ます」
・・・
--現場はどうなっているんだというので、ちょっと電話してみればみたいな話になると、所長のところに電話をするのが、東電の武黒一郎フェロー、川俣晋原子力・品質安全部長だったり、場合によっては細野豪志首相補佐官だった。どちらかというと、みんなで勉強会というか、そんな感じだったらしい。官邸で首相以下の指示がぼーんと決まって、これで行けとか、そんな感じではなかった
吉田氏「勉強会だったんですね」
--いざ聞いてみると、みんなそういうふうに言う。別に司令塔ではないと
吉田氏「しかし、何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」
▶悔悟の念
吉田氏「これは声を大にして言いたいんだけれども、本当は原発の安全性だけでなくて、東日本大震災で今回2万3千人が死にましたね(実際は死者・行方不明者合わせて約1万8500人)。これは誰が殺したんですか。(地震の規模を示す)マグニチュード9が来て死んでいるわけです。あの人たちが死なないような対策をなぜそのときに打たなかったんだ」
命まで賭して目の前の原発を鎮めようと戦う所長と、自分の手柄にしたくて安全なところから怒鳴り散らす日本の総理。存在の重みも言葉の重みも違います。
追記)このような記事がありました。
吉田氏は2013年7月に死去されます。ありがとうございました。ご冥福をお祈り致します。