2010年7月1日の宅配業界のパニックを覚えているでしょうか?
「ゆうパック」と日通の「ペリカン便」を合併して設立した「JPエクスプレス」社を、郵便事業株式会社「日本郵便」が吸収し、新たな宅配サービスとして「ゆうパック」をスタートさせた日です。朝日新聞の記事です。
ゆうパック大規模遅配、「全容を把握できない」公表せず 2010年7月4日
郵便事業会社(JP日本郵便)の宅配便「ゆうパック」で、1日から3日にかけて大規模な配達の遅れが出た。日本通運の「ペリカン便」を1日に吸収して取扱量が増えたことなどから、首都圏経由の荷物を中心に配送が滞った。遅配がしばらく続く可能性もあるが、日本郵便は「遅れの全体像を把握できない」として、3日夜の段階でも遅配の事実などを公表していない。
ゆうパックの荷物は、郵便局など地域の窓口で預かったあと、都道府県ごとの拠点支店に集める。それぞれ届け先近くの拠点支店に送ってから、さらに仕分けて、配送を受け持つ地域の郵便局などに送られる。日本郵便によると、新東京支店(東京都江東区)や東京多摩支店(東京都府中市)、大阪南港ターミナル支店(大阪市住之江区)といった拠点支店で作業に遅れが出た。
このため、地方から首都圏、関西圏向けに配送されるなどした荷物の多くが、生ものも含めて指定された期日に届かない状態になっている。
日本郵便では、ペリカン便の吸収で荷物量がこれまでの1日当たり約60万個から、約107万個に増えた。店舗も約7万4千店から約13万4千店に膨らみ、事務量が増えた。最大拠点の新東京支店では、これまで1日平均で約16万個を扱っていたが、25万個に増える計算だったという。7月はお中元の集配で忙しく、11日の参院選の投開票を前に選挙関連の荷物の取り扱いも増えたことも作業量の急増につながったとみられる。
ゆうパックとペリカン便の集配のシステムを併存させる形でスタートしたことも混乱に輪をかけた。一方のシステムに習熟した従業員が、他方の仕分けの作業手順を間違えることもあり、こうしたミスの重なりが大規模な遅配を招いた可能性もある。日本郵便は「訓練はしてきたが、大量の荷物を前に慌てた」(広報)。必要に応じ、利用者への賠償も今後検討するという。
http://www.asahi.com/national/update/0704/TKY201007030356.html(朝日・リンク切れ)
7月1日は、関東地方のお中元のスタート日で荷物が増えることが安易に予測できたはずです。また暑い夏の最中で食物が傷みやすい季節でもあります。なぜこんな日を統合に選んだのかという声も聞かれました。郵便事業会社は、大きな混乱をおこし、ヤマト運輸、佐川急便の救援も受けています。
この結果「日本郵便」は、大きな赤字を出してしまいます。夕刊フジのWEBサイトZAKZAKからです。
ゆうパック毎年1千億円赤字の恐れ、顧客離れ...抜本策が急務 2011.01.29
日本郵政グループの郵便事業会社(日本郵便)は、 遅配問題の影響で顧客離れが進んでいる宅配便「ゆうパック」事業について、このままでは毎年度1000億円を超える営業損失が出る恐れがあると明らかにした。
2010年9月中間決算の大幅赤字を受け、総務省に提出した収支改善策の中で説明した。
・・・(略)
ゆうパックは統合に伴う遅配問題が起きた7月以降の3カ月間、 取り扱い個数が当初計画を613万個下回る9731万個に減った。 問題収束後も再発防止策などで経費削減は進んでいない。・・・(略)日本郵便の中間決算は、郵便物の減少など構造的な要因に、ゆうパック遅配問題の損失が加わり、営業赤字が928億円、純損益の赤字も593億円に上った。同省は今後の郵便事業への影響を懸念し同社に改善策の報告を求めていた。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110129/plt1101291518000-n1.htm(zakzak・リンク切れ)
この合併の経緯について、朝日新聞からです。
日通、宅配便から撤退 統合計画が破談 2009年12月25日
日本郵政グループのJP日本郵便と日本通運は24日、宅配便事業の統合計画を大幅に見直すことで合意した。統合に向けて両社の出資で設立した「JPエクスプレス」を清算。人員や設備の大半を日本郵便が引き受け、ブランド名も「ゆうパック」に一本化する。「ペリカン便」は消滅し、日通は宅配便事業から撤退する。・・・(略)
JP日本郵政の西川善文前社長が青写真を描いた当初案は、民間流のトップダウンで事業再編を進める手法で、評価する声も多かった。だが、日本郵便の現場や総務省の一部には「成長が見込める宅配便事業を外部に切り出してしまうと、日本郵便本体の経営が悪化する」との声もあった。
かんぽの宿問題で西川氏を批判していた鳩山邦夫総務相(当時)がそうした声をくみ取り「業績の下ブレ懸念が拭(ぬぐ)えない」として、日本郵便の宅配便事業を移すことに「待った」をかけた。その後の総務相も統合計画を認めず、JPエクスプレスは態勢が整わないまま赤字を膨らませた。10月に交代した斎藤次郎社長ら新経営陣からも「西川案件」の一掃を求める声が強まり、統合撤回に至った。・・・(略)
http://www.asahi.com/business/topics/economy/TKY200912240455.html(朝日)
小泉政権時代に幕をあけた郵政民営化の一環として、ヤマト・佐川の大手2社を追って宅配便事業を強化する目的で、「ゆうパック」と「ペリカン便」を統合して「JPエクスプレス」社を共同事業として運営していく当初の計画を、日本郵便が「ペリカン便」を吸収する形に鳩山新政権で変更されました。
この理由が、自民党政権時代の「西川案件」を一掃することにあったようです。自民党政権時代のものには何でも反対、ちゃぶ台返し。その一環だったことが伺えます。
鳩山総理、天下りで日本郵便社長に就任した小沢氏のお友達の斎藤次郎氏、そして原口一博総務大臣がこの決定に絡んでいるのでしょう。また、わざわざ荷物の増える7月1日を新サービス開始日に決めたのには、政権交代後の成果を早く国民に披露したいという、現場のことを良く知らない民主党政権の閣僚たちの思惑が感じられます。
この件の最悪なのは、赤字だったことではありません。お客様に多大な迷惑をかけてしまったことです。元々の「西川案」が最善だったかどうかは別として、それを否定した結果、パニックとも言えるような大混乱をきたして、国民に多大なる迷惑をかけてしまったのです。
元々国営の郵便事業会社の「日本郵便」、戦前は国営の「日本通運」、似たようなお役所体質を抱えての事業合併です。現場での軋轢は相当のものだったと想像できます。
分厚いマニュアルが配られたのが、合併半月前の6月中旬と言われています。多分、そのマニュアルも現場を知らない頭だけの官僚と日通幹部によってつくられたものなのでしょう。起こるべくして起こったパニックだったわけです。
マイルストーンを決めて、試行期間を設けて、スムーズに移行するという常識的なプロセスを踏まずに、「西川案件」はだめだ。7月1日吸収案で行くよ。と自分達の都合で決定した鳩山政権の浅はかさに大きな原因があるように感じます。本来なら「こうした方がよろしいのでは?」と提言する役目の官僚も、政権直後の空気に「この人達に言っても無駄・・」と匙を投げていたのかもしれません。
こうして民主党政権による郵政民営化改革は、繰り返すちゃぶ台返しの結果、散々な事態を引きおこし、それが2019年のかんぽ生命保険の不正問題にまで尾を引くのでした。