ここ、で郵政民営化までの足取りを簡単にたどります。
・郵政民営化の経緯
時期 | 内閣 | 経緯 |
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1996年11月 | 橋本 | 行政改革会議が発足、郵政民営化の検討開始 |
2001年1月 | 小泉 | 中央省庁再編 郵政省郵政行政部門は、総務省郵政企画管理局に 郵政事業部門は、総務省郵政事業庁に再編 |
2003年4月 | 郵政事業庁が特殊法人である日本郵政公社に | |
2005年7月 | 郵政民営化法案 衆議院本会議において5票差で可決 | |
2005年8月 | 郵政民営化法案 参議院本会議においては否決 自民党から多数の衆参議員が造反 衆議院解散 |
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9月 | 衆議院選挙 与党が2/3の議席を超える「圧勝」 自民党が造反議員を処分 |
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10月 | 郵政民営化の関連法案が可決・成立 | |
2007年10月 | 福田 |
日本郵政グループ発足 |
2009年8月 | 麻生 | 衆議院選挙で民主党圧勝、政権交代 |
10月 | 鳩山 | 「日本郵政」西川善文社長辞任 後任に元大蔵省事務次官・斎藤次郎氏を起用 |
12月 | ||
2010年5月 | 「日本郵政」がグループ内約20万人の非正規社員から 勤続3年以上など社員採用を発表(対象65,000人?) |
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5月 | 郵政改革法案を衆議院で強行採決 | |
6月 | 鳩山総理辞任、菅内閣発足 | |
6月 | 菅 | 菅内閣、郵政改革法案を先送り 先送りを不服とし亀井静香金融・郵政改革担当大臣が辞任 |
7月 | 「JPエクスプレス」社を統合した宅配事業「ゆうパック」が新規スタート 開始早々業務が錯綜し、大混乱に |
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7月 | 参議院選挙で民主党大敗、ねじれ国会へ | |
2012年4月 | 野田 | 民主、自民、公明3党が提出した郵政民営化法の改正案が可決・成立 |
10月 | 郵便事業株式会社と郵便局株式会社を合併し「日本郵便株式会社」に統合 日本郵政グループは5社体制から4社体制に再編 = 再国有化 |
やっぱり小泉総理による郵政解散が鮮烈に記憶に残ります。前記事で高橋洋一氏が年間1兆円もの税金補填(ミルク補給)が必要だったと語る郵政事業の立て直しには、相当の痛みを伴いました。自民党からも多くの議員が造反し、平沼赳夫氏、野田聖子氏など大物議員が処分を受けました。民主党と連立を組む日本新党の亀井静香代表も造反議員の一人でした。世間では、簡易保険の持つ莫大な契約とカネをアメリカのハゲタカ金融が狙っているという話も聞かれました。当時は、それほど政治に深い関心を持っていなかったために、そんなものかと思っていました。(恥)
そして2007年、福田内閣時に日本郵政グループが5社体制で発足、持株会社「日本郵政」の社長に元三井住友フィナンシャルグループ代表取締役社長・西川善文氏が就任しました。
民主党政権は、その小泉郵政民営化に対して、ちゃぶ台返しをしたのです。その主なちゃぶ台返しは次の通りです。
①日本郵政の西川善文社長を元大蔵事務次官の斎藤次郎氏へ。政権交代直後の2009年10月。
この際に西川氏とともに日本郵政に来た民間人が20名ほど追い出されたと高橋洋一氏は語ります。
天下りあっせんをしないというマニフェスト破りでもありました。
②西川社長の元「ゆうパック」と日通の「ペリカン便」を合併・設立した「JPエクスプレス」社を
2009年12月「郵便事業株式会社」に吸収
このために2010年7月1日ゆうパックが大規模な機能障害を起こし大混乱に陥ります。
③2010年5月「日本郵政」はグループ内約20万人の非正規社員から 勤続3年以上なの正社員採用を発表
対象は65000人とも言われます。正確な数字は発表されませんでした。
民主党政権は、3月に10万人と発表しています。
④郵便会社、郵便局会社を統合して5社体制を4社体制に再構築
法案が成立したのは2012年4月、野田政権において
⑤完全民営化予定の、ゆうちょ銀行とかんぽ生命の日本郵政の株式はいずれも維持(非民営化)
法案が成立したのは2012年4月、野田政権において
小泉郵政民営化はゆうちょ銀行、かんぽ生命の株式を全て売却し完全民営化を目指したのに対し、
民主党政権は、ユニバーサル(地方の郵便局維持)を理由に株式維持を主張。
西川社長は「かんぽの宿」を不当に安く売ったなどと官僚やマスコミから攻撃を受けていました。西川氏が重視していたのは収益力であり採算性で、へき地の特定郵便局長、JP労組など自らの先行き不安から敵対していました。JP労組から支持を受ける民主党政権になって、西川氏自らがついていけないと感じ、辞任することとなりました。
しかし、それが結果的に、この年の7月のゆうパックの大混乱につながり、昨今のかんぽ生命の不正につながってしまいます。辞任当時の朝日新聞です。
日本郵政・西川社長が辞任表明 民営化見直し「隔たり」2009年10月20日
日本郵政グループの持ち株会社である日本郵政の西川善文社長(71)は20日、東京都内の本社で会見し「現在の職にとどまることは適切でない」と述べ、正式に辞任を表明した。辞任の理由は、政府が決定した民営化の見直し方針と「私が郵政民営化のためにやってきたことと大きな隔たりがある」と述べた。28日の取締役会で辞表を提出する方針。
西川氏は20日夕、亀井静香郵政改革担当相と原口一博総務相と相次いで面会、自らの辞意を伝えた。両大臣も了承した。亀井氏は後任の社長について「白羽の矢をたてている方に今後お願いしていく」と意中の候補者がいることを明らかにして、「できるだけ早く決めたい」と述べた。
西川氏は会見で、3年9カ月間にわたる郵政の経営について「政府の信用を背景にした『官業』を、自らの力でお客様や市場の信頼を勝ち取ることができる『民業』に変革させようと努力してきた」と振り返ったうえで、「サービスレベルの向上や経営の品質の向上など相当程度の効果があった。思い残すことはない」と語った。
民営化見直しに関する評価については「国の政策の話でありますから、私がコメントすべきではない」と言及を避けた。後任人事についても「亀井大臣を中心に人選を進められること」と、自らは関与しないことを強調した。
西川氏は三井住友銀行頭取、全国銀行協会長などを歴任。バンカーとしての経営手腕を小泉純一郎元首相に買われ、06年1月に日本郵政の前身である準備会社の社長に就任。スルガ銀行との住宅ローン販売での提携をまとめるなど、民間流のトップダウン経営で業務を拡大した。
しかし、不透明な手続きが発覚した「かんぽの宿」売却問題で、総務省から業務改善命令を受けるなど今年に入って不祥事が相次ぎ、求心力が低下。鳩山由紀夫首相や主要閣僚は西川氏に辞任を促す発言を繰り返しており、西川氏の去就が注目されていた。
http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY200910200356.html(朝日)