民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

■ルーピー鳩山総理の辺野古移設顛末

まずは、史上最低の総理について語らねばなりません。民主党のブーメランは、民主党に帰ってきますが、「総理のブーメランは国民に帰ってくる。」このことを痛感させてくれました。「初めてだから失敗しても見逃してね」と冒頭で発言した鳩山総理は、就任以降多くのことをやらかしてくれました。

その最たるものが沖縄普天間基地辺野古への移転問題です。その進展の中であまりにも鳩山総理の発言があっち向いたり、こっち向いたりするので、ワシントンポスト紙の記者がincreasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyamaと報じたことから、ルーピーと呼ばれるようになりました。

鳩山総理の発言を追って、そのルーピーぶりを検証していきます。

 

普天間基地の問題はややこしいです。

元々は畑の中にあった基地に、商売になるからと人が集まってきました。

1945年頃の写真、1970年の航空写真、2005年の航空写真をご覧下さい。

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1945年

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1970年5月9日 国土地理院

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1970年5月12日 国土地理院

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2005年1月24日 国土地理院


飛行場を中心に騒音や危険性をわかっていながら、街ができていったわけです。そこには、職があり、商売が成立したからこそ人が集まってきたのでしょう。先に街があって、そこに無理やり基地をつくったわけではないのに、ことさら騒音を問題視するのに個人的に少し違和感を持っています。また多くの地主の方がいて、内心基地の移転に反対していると思われます。騒音と土地の利権と商売をしている方の葛藤、そこに反対派の思惑が絡み合ってややこしくなっているのです。

返還・移転に向けての簡単な経緯は次の通りです。

普天間基地移設までの道のり
年月 出来事
1996年 4月 日米両政府が普天間基地の返還に合意(橋本内閣)
  移設先として沖縄県名護市・辺野古が浮上
1997年 12月

名護市の住民投票で代替施設の受け入れ反対票が過半数を占める
比嘉市長(当時)は辞任と引き換えに基地の受け入れを表明

1998・2002年 反対派の稲嶺惠一氏が沖縄県知事選で当選
1999年 11月 稲嶺知事が辺野古移設を表明
12月岸本名護市長も受け入れ表明
12月 小渕恵三内閣が辺野古移設を閣議決定
2006年 2月 容認派の島袋吉和が名護市長選挙で当選
2006年 4月 「V字滑走路案」で防衛省と名護市が合意
2006年 5月 日米両政府、米軍再編ロードマップを発表
2014年目標で普天間基地の名護市辺野古移設に正式合意
2006年 11月 沖縄県知事選挙で計画容認の仲井真氏当選。
2009年 7月 衆院選挙に向けての民主党・鳩山総理が「最低でも県外」発言
2009年 9月 政権交代鳩山内閣発足
以後「トラストミー」「腹案」発言で迷走
決定時期も「年内に」「3月までに」「5月末までに」と2転3転
移転候補も「グアム」「テニアン」「馬毛島」「徳之島」「関空」など
よりどりみどりの右往左往
2010年 1月

名護市長選挙、県外移設を主張の稲嶺進氏が当選、初の移設反対派市長誕生
反対派の勝利に対して平野官房長官の発言。「民意の1つである ことは事実であり、それを否定はしないが、今後の検討では、そのことをしん酌して 行わなければいけない理由はないと思う。名護市辺野古への移設という選択肢を すべて削除するということにはならない」(NHK

2010年 5月 日米2プラス2共同声明発表。辺野古移設案で合意
鳩山内閣閣議決定
2010年 11月 沖縄知事選で「県外移設」に主張を転じた仲井真知事が再選
2012年 10月 政権交代安倍内閣発足
2013年 12月 仲井真知事辺野古埋め立てを承認
2014年 1月 名護市長選挙、県外移設を主張する稲嶺進氏が再選
2014年 11月 沖縄知事選、反対派の翁長雄志が当選。(2018年8月逝去)
2018年 1月 名護市長選、容認派の渡具知武豊氏が反対派現職の稲嶺氏を破り当選
2018年 9月 沖縄知事選、反対派の玉城デニー氏(自由党・元衆議院議員)当選
2019年 2月 沖縄県民投票 投票率52.48 移設賛成18.99% 反対71.74%

 「最低でも県外」の一言が、それまでうまく行きかけていたものを、ちゃぶ台返しでぐちゃぐちゃにしてしまったわけです。しっかりとした代案があれば許せるのですが、ひっくり返してから考えるという体たらく。アメリカ大統領に「トラストミー」、国民には「腹案」あるから大丈夫と、結局「グアム」「テニアン」「馬毛島」「徳之島」「関空」・・・、あっちじゃない、こっちじゃないと迷走することになります。その度に沖縄県民はハラハラドキドキ、新たに候補地にされたところでは反対運動が繰り広げられ大混乱を巻き起こします。

そして結局「辺野古しかない」という結論に達するのです。「はぁ~」沖縄県民の失望の大きなため息が聞こえてきそうです。徒労、税金の無駄遣いはもとより、それ以前に脱力してしまいます。

これが民主党政権なのです。かっこつけて大きな声で喜ばせておいて、実は何もできない。辺野古もそうですが、八ッ場ダムも、諫早も、原発停止も、スーパー堤防も全て「思いつき」「見栄」「前政権の反対」「パフォーマンス」でしかないために、現場を思いっきり引っ掻き回した挙句何もできずに元に戻る、後に地域の住民の感情と生活に深い傷を残しているのです。

そして2018年、自由党玉城デニー氏が沖縄知事となりました。玉城氏は鳩山政権当時は民主党に所属していて、この辺野古移設を決定した当事者の一人であります。その玉城氏が代案も出すことなく、辺野古移設反対に奔走している姿を見ると怒りを通り越して、呆れてしまうばかりです。

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