福島原発の最前線で政権と連絡をとりながら指揮をとる原子力災害現地対策本部長として任命された池田元久氏(衆議院・比例南関東)。当時は経済産業副大臣でした。任務としては適役です。その池田氏ですが、現地から逃げ出したとの疑惑が持たれ、さらには過労で入院、そのことを政府が隠蔽した疑惑が持たれています。さらには、現地対策本部長のポストがコロコロ変わることが指摘され、復興への本気度に疑問符がつきました。→コロコロ変わる現地対策本部長
「放射能が怖い」菅直人氏も枝野氏も岡田氏も小沢氏もそう感じていたようなので、下っ端の彼らも現地に長居したくなかったのかもしれません。国民のことより、自分のこと。いつもの民主党の正常運転です。
原発災害本部長に“トンズラ”疑惑!住民見捨て逃げたと国会大炎上 2011.10.13
福島第1原発事故の現地災害対策本部長は、被災者を見捨てて逃げ出したのか-。事故直後、その任に当たっていた民主党の池田元久前経産副大臣(70)を、地元選出である自民党の森まさこ参院議員(47)が国会で糾弾し、池田氏が「事実無根だ」と森氏の懲罰動議を要請する大バトルになっている。震災から7カ月。果たして、被災者が知る“事実”はどうなのか。
最大の焦点は、事故直後の3月15日、池田氏が第1原発がある福島県大熊町のオフサイトセンター(OFC)から、約60キロ離れた福島県庁に拠点を移動したときの行動。
森氏は先月28日の参院予算委員会で「その時、現地にいたのは当時の池田副大臣ですよ。私は、池田副大臣が先に逃げたのを知っています。子供たちを置き去りにして、遠くの60キロ地点まで逃げ出しました」と断言したのだ。
事実なら、対策本部長にあるまじき愚行。民主党政権の信頼に関わる重大問題である。池田氏は自身のHPで次のように反論し、森氏への懲罰動議を要請していることを明らかにした。
《14日夜、原子炉の状況が深刻になったことから、本部と協議し、本部の判断で(福島市に)移転することになりました。住民はその時点ですでに(第1原発から20キロ圏外の)避難区域外へ避難が完了しているとはいえ(中略)翌日午前中、区域内を捜索しました》
《重症のお年寄り96人が居ることが判明し、直ちに自衛隊車で区域外に移動してもらいました。この状況を見届けた上、15日正午に現地対策本部の各班が車列を組んで福島県庁へ出発しました。『私が先に逃げた』とは何を根拠にいうのでしょうか》
一体、どちらの言い分が本当なのか。
20キロ圏内の浪江町で、酪農を営んでいた男性(43)はいう。
「池田氏が『住民の避難が完了していた』というのはおかしい。15日の時点で、浪江町では国からも県からも何の連絡もないまま、私が見ただけで子供も含む50人以上の町民が取り残されていた。南相馬市の小高区でも、ほとんどの住民が残っていたことを確認しています。20キロ圏内すべての住民の避難を見届けたなど、あり得ない」
同じく、浪江町内の地域センターで避難者の世話をしていた消防団員の男性(45)も「当時1000人ほどの町民が避難していましたが、二本松市への移動が完了したのは16日の話。その間、携帯もつながらず、国も県も何の手助けもしてくれなかった。15日正午の時点でも、400-500人は残っていた。池田氏の主張には無理がある」と語る。
これでは、「置き去りにして逃げた」と批判されても仕方ない。
夕刊フジで改めてコメントを求めたが、1週間以上たっても、池田氏から返答はなかった。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111013/dms1110131126005-n1.htm(ZAKZAK・リンク切れ)
さらにこの池田氏は5月に体調不良で入院、そのことを政府は10日間も隠蔽したのではないかと追及されます。池田氏が後任を求めたところ、海江田経産大臣が副大臣の辞任を求めたが池田氏がそれを拒否したために遅れたようです。どっちもどっちですね。職にしがみつく池田氏も、政府も。
その間、経産省原子力安全・保安院の次長が本部長が代行したとのことですが、現地責任者不在のまま放置しておいたのは、復興への本気度が欠けていると言われても仕方がありません。
現地本部長の池田副大臣が入院…政府、10日以上公表せず 後任は田嶋政務官 2011.6.1
東京電力福島第1原発事故に対応する政府の原子力災害現地対策本部で本部長を務める池田元久経済産業副大臣が5月19日から体調不良を理由に入院し、10日以上も「現地指揮官」の不在が続いていることが分かった。菅直人首相は事実関係を認め、31日夜、後任の現地対策本部長に田嶋要経産政務官を起用する方針を固めた。
池田氏は胃潰瘍(いかいよう)などと診断されたがすでに退院し、自宅療養中。政府は池田氏の入院をこれまで公表しておらず、隠蔽(いんぺい)体質がまたも浮き彫りになった。
31日の衆院東日本大震災復興特別委員会で、自民党の西村康稔氏が「10日以上も隠していたのか」とただすと海江田万里経済産業相が事実関係を認めた。
海江田氏は「隠してはいない。任に堪えないならば代わりの人にやってもらいたいと首相に伝えている」と説明。首相は「副大臣、政務官の常駐が望ましい。(池田氏の)復帰は難しいので早急に他の副大臣や政務官に対応してもらうよう海江田経産相と相談したい」と述べた。
一方、池田氏は、5月18日に現地本部を離れる際に「後任の本部長を置いてほしい」と申し出たが、海江田氏が「福島に戻らないなら副大臣の辞表を出せ」と拒否したことが分かった。関係者が明らかにした。
池田氏は副大臣辞任を拒否したため両者の溝が埋まらず本部長不在が続いた。福島県は現地対策本部に「後任は来るのか」と何度も問い合わせたが、回答はなかった。池田氏は「人を使い捨てにする非人道的なやり方だ。民主党になじまない」と周辺に強い不満を漏らしているという。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110601/plc11060100220000-n1.htm(産経・リンク切れ)
なお、池田氏は2012年の選挙で比例復活もできずに落選。政界から姿を消しました。