民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇すぐに収まるさ!と楽観していた?菅政権

もう一つ初動が遅れた理由を考えてみます。夕刊フジの記事にそのヒントがありました。

当時、陸上幕僚長だった火箱芳文(ひばこ・よしふみ)氏は「菅政権は当初、原発事故について『何とかなる』と楽観的だった。

https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180414/soc1804140007-n1.htmlzakzak

この火箱氏の言葉の通り、菅総理をはじめ民主党政権は、事態を「すぐ収まる」と楽観的にとらえていたのではないかと思っています。

 

赤松口蹄疫がそうでした。彼らは過去の収束度合から見て宮崎の口蹄疫の流行を楽観的にとらえ、現場に任せておけばそのうち収まると考えたのです。だから赤松農林水産大臣キューバへ飛び立ち、各閣僚も思い思いのゴールデンウィークの休日を楽しんだのです。

東日本大震災福島第一原発事故に置いても、これと同様に、ちょっと東京電力の尻を叩けばすぐに収束できるという変な自信があったように思います。

「これを収束させたら俺たちはヒーローだ。支持率回復間違いなし!ブラボー」

初めの日には、そんな気負いと余裕が見受けられたように感じました。

そんな菅総理は、せっぱつまった危機感を欠いたまま、意気揚々と現地へ乗り込むのです。

その時の気分は国際救助隊のようだったと想像されます。

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