辻元氏の国交副大臣の椅子もたった8ヶ月半でした。2010年5月28日の社民党の政権離脱に伴い、辻元氏も政権を離れることになります。
しかし、辻元氏は8月に社民党を離脱して、民主党政権へと戻ってくるのです。社民党としての自らの信念を曲げて辺野古移設を容認してまでも副大臣の椅子が忘れられなかったのでしょうか?正確には、2010年9月衆議院会派「民主党・無所属クラブ」に入会し、国土交通委員会与党筆頭理事に就任、野田政権発足後の2011年9月に正式に民主党に入党しています。
社民党の福島瑞穂氏は、個人的には決して褒められた議員ではありませんが、信念を守ったという意味では辻元氏よりは上、そうはっきり評価したいと思います。
辻元氏は、その思想からは、どう見ても社民党がお似合いだったのですけどね。権力の味は忘れられなかったようで・・・。
好意的に見ると空想より実務に目覚めたということでしょうけど、森友学園の隣の土地が豊中市に売却される過程で国交副大臣の辻元氏の関与疑惑があることを考えると、何か忘れられない甘い汁があったのかもしれません。それはさておき、サヨクが権力やカネの前には、あっさり自分の信条を捨てるということがわかりました。個人的には、そのまま社民党に残って、福島氏に変わり社民党の党首になる姿を見たかったです。
辻元氏は離党の理由を自身のブログでこう語ります。
「現実との格闘から逃げずに国民のための仕事を一つずつ進めていきたい」
私は国民のためではなく、お友達のサヨクのためだと思っています。
衆議院会派「民主党・無所属クラブ」に入会、国土交通委員会与党筆頭理事に就任した辻元氏は、東日本大震災を受け、2011年3月13日災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官に就任します。ここで辻元節が炸裂します。
。週刊ポスト2011年4月8日号の記事です。
辻元清美氏 「部屋と秘書官がいないと仕事ができひん」2011.03.30
震災後、災害ボランティア担当の総理補佐官に就任した辻元清美氏は、権限をくれと駄々をこねたという。
補佐官は官邸の大部屋に席が置かれるのが通例だが、辻元氏は、「部屋と秘書官がいないと仕事ができひん」と要求して、内閣府に震災ボランティア連携室を設置させた。
ちょっとした“大臣気分”を味わったのか。
https://www.news-postseven.com/archives/20110330_16099.html(週刊ポスト)
一度権力の味を覚えるとなかなか忘れられないようですね。