民主党から自民党へ政権が復活し、安倍総理による長期政権で日本の政治が安定する中、野党は、名前を変えたり、党の離散集合を繰り返してきました、その原動力は「国民のために」ではなく、「安倍政権を倒す」という目の前の目的と「自選挙に落ちたくない」という議員方の個人的な思いからでしかありません。希望の党のゴタゴタがそれを顕著に表しています。民主党政権以降の野党の相関図をつくってみました。
政権交代後「自分たちはそんなに悪くない」と信じていたであろう民主党議員が、自分達の想像をはるかに越えていた国民のイメージの悪さに慌てているのです。彼らが馬鹿にしていた国民の目は、節穴ではありませんでした。民進党に名前を変えるくらいではどうにもなりません。
そこに登場したのが小池百合子氏の「希望の党」です。都知事選、都議会選で奇跡を起こした女王様が手招きしている、まさに「希望の船」が現れたのです。「あの船の乗りさえすれば当選できる」民進党内が色めきだしました。ここに登場するのが代表になったばかり言うだけ番長・前原誠司氏です。前原氏は何度も何度もチョンボしているのですが、何度も何度もいつの間にか浮上しているのです。そしてまた、いらぬ手回しをして民進党を壊滅的な状況に陥らせるのです。
→■言うだけ番長・前原氏登場 - 民主党政権3年3か月の研究
衆議院解散総選挙が噂される2017年9月26日、前原氏は民進党代表として希望の党の小池氏と極秘に会談し、合流の約束をとりつけます。「やったぜ番長、これで当選間違いなしだ!」と28日衆議院解散が発表された日、民進党の両院議員総会において、希望の党との合流は全会一致で採択されました。
ところがフタを開けると希望の党側から10項目の「政策協定書」への署名=「踏み絵」が課され「排除」が示されます。「話が違うぜ番長!どうなっているんだ!」。「選挙に落ちたくない」議員たちが騒ぎ始めます。
「踏み絵」には、憲法改正支持、消費税増税凍結への賛成、外国人の地方参政権反対などサヨク的民進党出身者に厳しい内容が並びました。
自らの政治信条を破ってまで、素直に「踏み絵」を踏む人は、選挙に自信がなかった議員だったのでしょう。千葉1区・田嶋要氏、香川1区・小川淳也氏、岡山4区・柚木道義氏など小選挙区で落ち、希望の党の比例で救われた議員も少なくありません。小川氏、柚木氏などは、踏み絵を踏んで自分自身の政治信条を曲げてまでも署名しているのに、希望の党で比例当選後に小池氏の批判をして立憲民主党に移るなど、その行動に疑問符がつくような議員です。※失礼しました。柚木氏は、国民民主党に一度移籍、立憲民主党に移ろうとしましたが受け入れてもらえず、国民民主党からも除籍されてしまっています。訂正します。(2019年5月5日)
「踏み絵」を踏まなかった(踏めなかった?)サヨク色の強い面々が集まってできたのが枝野幸男氏を代表とする「立憲民主党」です。希望の党の横暴さに反抗する勢力として判官びいきの風にのりました。前回の衆院選で小選挙区落選・比例復活当選した菅直人氏、赤松広隆氏、海江田万里氏、辻元清美氏ら民主党政権の重鎮が小選挙区で当選してしまいます。当時支持率は10%を越えていました。
一方、無所属を選択した議員もいました。岡田克也氏、野田佳彦氏、安住淳氏など選挙地盤がしっかりして当選間違いなしという議員です。選挙後「無所属の会」を結成しています。
また、この騒動の前からいち早く希望の党の前身「日本ファーストの会」の若狭勝氏とコンタクトしていた細野豪志氏を含め「希望の党」結党に参加した長島昭久氏、松原仁氏などは余裕の高みの見物のはずでしたが・・・。
「民進党」には、選挙がなかった参議院議員が残りました。選挙後に大塚耕平氏が代表に就任しています。
こうして2017年10月22日衆議院選挙が行われます。結果は、与党自民党の圧勝です。野党第一党は55議席の立憲民主党、希望の党は50議席に留まりました。
小池百合子氏は、ここで国政を投げ出します。後は、民進党出身の玉木雄一郎氏(衆・香川2区)が代表を引き継ぎ、翌年5月には「民進党」に合流する形で「国民民主党」が誕生します。当初は大塚氏と玉木氏の共同代表でした。
この「希望の党」騒動で見えるのは、議員たちの「選挙に落ちたくない」という想いだけです。日本をどうやって豊かにするのか?国民の安全をどうやって守るのか?そんな視点は一つも感じられません。ただただ「選挙に落ちたくない」その論理だけが、彼らの行動に結びついています。
その意味で立憲民主党も国民民主党も「選挙に落ちたくない」から生まれた政党と言っても過言でないと思います。もともと民主党は「綱領もない選挙互助会」と言われていたのですから、その本性が現れただけなのかもしれませんが。
そして、立憲民主党も国民民主党も国会でやっていることは「反安倍」「何でも反対・反対」だけです。自分たちが決めて米国と約束した辺野古移設すら反対を叫んでいるのです。そして毎日毎日モリカケモリカケ。挙句の果てには2018年のゴールデンウィーク審議拒否で18連休です。「選挙に落ちたくない」からできた政党は、やることも違います。国民のために働いてほしいものです。
2019年4月には、2012年に民主党を離れた小沢一郎氏率いる「自由党」が「国民民主党」に合流すると発表しました。
バラバラになった民主党政権の末裔が、またくっつきはじめているのです。これで「国民民主党」と「立憲民主党」が一緒になれば「ほぼ民主党」です。その顔ぶれも、悪夢の民主党政権の時とほぼ変わっていないのです。
何やってんだか?