民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇中国に阿る尖閣国有化と暴動化するデモ

この石原氏の行動に焦ったのが野田政権でした。島に新しい漁礁や灯台、船溜まりなどをつくり実績化してしまうと中国のご機嫌を損ねるとして、国有化に走ります。地権者と年間2,450万円で賃借契約を結んでいた魚釣島、北小島、南小島の3島を総額20億5千万円で国が買い取ることにしたのです。2012年9月3日に合意したと報道されています。

しかし、野田政権の方針は、買い取っても何もしない、以上。

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灯台もつくらない、何もつくらない。調査もしない。日本人の上陸も許さない。何もしないことで、都が購入するよりましでしょ?とのメッセージを中国に送るのです。

しかし、中国に慮ったこの野田政権の行為が中国の逆鱗に触れてしまうのです。どうじょうびっくりぽん。

この後、尖閣諸島周辺海域へ中国海軍艦艇の挑発的な侵入が頻発するようになります。ここでも民主党政権・岡田副総理は、弱腰で迎えることとなります。後述します。

9月27日に行われる予定だった日中国交正常化40周年記念式典も延期が発表されます。事実上の中止となりました。

また、中国各地で暴動とも言うべき反日デモが繰り広げられます。日系スーパーは略奪され、日本車が焼かれ、日本企業の工場でも暴動が起こり、テレビの画面に悲惨な光景が映しだされました。

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私自身上海在住時の2005年4月に反日デモ騒ぎがありましたが、これに比べるとそれはそれは可愛いものでした。とにかく一人の扇動者がいれば、一万人を暴徒化させることが容易な民族だということを感じました。私の推測ですが、ほとんどの反日デモは中国政府がしくんだ官製です。数人の扇動者を送りこんで、マスコミに煽らせて、警察が見てみぬふりするだけで、あれだけのデモに膨れ上がっていくのです。怖い国です。

 これも民主党政権中韓外交が常に後手後手の下出下出で、強いプレゼンスを確立できないからです。尖閣諸島中国漁船衝突事件での船長釈放などの積み重ねが中国を一歩一歩優位に立たせているのです。

民主党の議員は、誰もがブーメランの名手です。そのブーメラン、ご自分に返ってくる分には問題ありませんが、総理や外交のブーメランは、国民に返ってくるので勘弁してください。ロイターの記事です。

中国の反日デモがさらに拡大、国交正常化以来で最大規模 2012年9月17
[北京/成都/東京 ロイター] 日本政府による尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化に反対するデモが16日、前日に引き続き北京の日本大使館前のほか、広東省深セン四川省成都、上海などで行われた。都市数は少なくとも72都市に拡大したという。
 15日に50都市以上で発生したデモは、1972年の日中国交正常化以来、最大規模に発展している。
 首都・北京の日本大使館前では16日にも、デモ隊の一部がペットボトルを投げるなどして暴徒化。機動隊がバリケードを張り厳重な警戒態勢を敷く中、警察はデモ隊に対し、法を尊重するよう拡声器で呼びかけた。デモに参加した19歳の学生は「日本が引き下がらないなら、戦争するべきだ。中国人は恐れない」と語った。
 北京のデモが行われている現場を通りかかった現代芸術家で人権活動家の艾未未アイ・ウェイウェイ)氏はロイターに対し、デモは中国政府と警察から認可を受けているとの見方を示し、「中国の市民は日本政府に礼を言わねばならない。自国で初めて大規模な抗議活動ができたのだから」と述べた。
 深センでは、通りを占拠した数千人のデモ隊を散会させようと、警官隊が催涙弾や放水銃、唐辛子スプレーを使用。一方、デモ隊は警官の盾を奪ったりヘルメットをたたいたりするなどして、両者の間に緊張が高まった。
 また、成都では少なくとも2000人のデモ隊が訴えを聞いてもらおうと米国総領事館に押しかけようとしたほか、上海では約1500人が日本総領事館に向かって行進した
 日系のレストランや企業への襲撃は、少なくとも5都市で発生。16日付の日経新聞によると、山東省青島と江蘇省蘇州にあるパナソニックの電子部品工場に25日、暴徒化したデモ隊が乱入したほか、トヨタの販売店では放火や車両破壊が相次いだ。
 こうした状況を受け、野田佳彦首相は16日、NHKの番組で「残念ながら(在留)邦人とか日本系企業の安全にかかわる問題だ。中国政府に抗議すると同時に、安全確保を強く求めていきたい」と強調した。
 中国では、18日は満州事変の発端となった柳条湖事件から81年を迎える記念日となり、デモが続く恐れがある。

https://jp.reuters.com/article/tk0895564-china-japan-protest-idJPTYE88G00F20120917(ロイター)

中国の外務省報道官は、この件について「責任は日本が負うべき」と表明しますが、野田政権は、なすすべもありません。せっかく中国のためを思って国有化したのに、かえって激怒されて呆然としていたのでしょうか?中国からすると、これを機会にいい気になっている野田政権に対して、きつーいお灸を据えたというところでしょう。民主党政権になって国の軸が揺らいでいることを見抜かれて、調子に乗って挑発、攻めてきているのです。尖閣諸島中国漁船衝突事件からの詰将棋はまだ続いていたのでした。

5年経って野田総理は当時の決断についてこう語っています。BLOGOSです。

5年前の決断 野田佳彦 2017年09月11

 尖閣諸島国有化から5年を迎えます。2012年9月11日、私は、尖閣国有化を閣議決定しました。埼玉県在住の地権者と年間2450万円で賃借契約を結んでいた魚釣島、北小島、南小島の3島を総額20億5千万円で国が買い取ることにしたのです。その決断の背景は…。
 2012年4月16日、当時の石原慎太郎東京都知事がワシントンで講演し、尖閣諸島の3島を都が地権者から買収する意向を表明しました。この電撃的発言は日本国中に大きな旋風を巻き起こし、巨額の寄付金が一気に集まりました。
 同年5月13日、北京で日中韓サミットが開催されました。この時の私と温家宝・中国首相との会談は、ギスギスとした、重苦しい空気になりました。この約1か月前の石原発言が、中国側の態度を急速に硬化させていたのです。尖閣をめぐって厳しい応酬となりました。
 その直後の5月18日、私は総理執務室に官房長官官房副長官首相補佐官、外務次官、官房副長官補などを秘かに集めました。尖閣国有化に向けた具体的な行動を指示するためでした。以後、このチームが手分けして、石原氏の動向を探り、地権者と粘り強く交渉し、中国や米国の根回しに奔走しました。
 中国をいまだに支那と呼ぶ対中強硬派の石原氏の下で、島が都有地になれば日中関係が険悪になると判断したからです。わが国固有の領土である尖閣諸島を、いかに長期的に平穏かつ安定的に管理するかが、私の問題意識の根底にありました。
 この思いを確信したのは、8月19日の石原氏との直接会談でした。石原氏は島に船だまりを作ることにこだわっていました。しかし、船だまりを作れば、日本の漁船だけが利用するとは限りません。台風の時に中国や香港、台湾の船も緊急避難してくるでしょう。活動家の上陸を呼び込み、係争が日常茶飯事になってしまう可能性もあります。約1時間半の議論は平行線のままに終わりました。
 この会談で明らかになったことは、石原氏が島の現状変更を契機に、日中両国が軍事衝突をしても構わないという立場だったことです。詳細なやりとりは省きますが、自衛隊の最高指揮官として看過できない発言もありました。以降、私は、国有化にむけた動きを一挙に加速しました。
 領土を巡る紛争解決には、「国士」ぶった人物の短慮が大きな妨げになります。虎視たんたんと少しずつでも実効支配の実をとっていく、世紀の単位でアプローチする覚悟が必要です。
 国有化の閣議決定後、残念ながら日中関係は一時的に悪化しました。経済界からは批判の声もあがりました。が、国家主権を守るという重い責任は、短期的利益と相殺されるものではないと思います。評価は歴史にゆだねます。

http://blogos.com/article/245530/(BLOGOS)

野田総理は、菅総理と同じく「評価は歴史にまかせます。」と述べています。

卑怯だと思います。「国民のために自信を持って行動しました。」と胸を張って言って欲しいですね。「中国のために」しているので、そう言えないのだと思います。

民主党の方々は、その場では偉そうに発言しますが、後で自信がなさそうなんですよ。ホント・・・

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