民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇批難轟々、菅総理の避難所巡り

「当初の予定ではあらかじめ選ばれた住民と話し、短時間で帰るはずだった。」

と記事にあるように、菅総理の避難所巡りは、テレビ報道用のパフォーマンス(やらせ)だったようです。

しかし、そこで見せた態度は、被災者の心を踏みにじる酷いものでありました。

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産経新聞の記事をご覧ください。

短時間で帰る予定が… 首相視察でハプニング 2011年4月21日 産経新聞

 菅直人首相が21日に訪問した福島県田村市の市総合体育館では、東京電力福島第1原子力発電所の周辺住民ら約60人が避難生活を続けている。原発事故から1カ月以上も経過後の初訪問に「もっと早く来てほしかった」「早く事故の収束を」といった不満の声が相次いだ。

 同市によると、20日現在で避難しているのは同原発が立地する大熊町の34人をはじめ、葛尾村の16人、双葉町の6人など2市2町1村の計59人。

 東日本大震災の発生直後には、着の身着のままで逃れてきた約2千人が暮らしていたが、既にほとんどが市外へ移動している。

 菅首相は出迎えた渡辺利綱・大熊町長らと会談後、先の見えない避難生活を送っている住民が暮らす部屋へ移動。当初の予定ではあらかじめ選ばれた住民と話し、短時間で帰るはずだった。

 しかし、菅首相があいさつもせずに目の前を素通りしたことに葛尾村から避難している男性(51)が抗議。呼び止められた菅首相は困惑した様子で、その後は1世帯ずつ丁寧に話して回り、同体育館での滞在時間は予定を大幅に超えた約1時間20分に及んだ。

 事前に菅首相と話すことが決まっていた大熊町の会社員、石田未来さん(28)は夫(37)や3人の子供との5人暮らし。「早急に仮設住宅で落ち着けるようにしてほしいと頼んだ。いつ帰れるか、どうしたらいいのか全くわからないのでつらい。早く事故を収束させてほしい」と話し、「大熊町から来て子供がいるから選ばれたのかな」と笑った。

 一方、立ち入りが制限される「警戒区域」の設定と同時に、認められることになった半径20キロ圏内への一時帰宅。原発から数キロのところに住んでいた大熊町の主婦(60)は、「1世帯1人で2時間だけじゃ何もできない」と不満を隠さない。「冷蔵庫の中は腐っているだろうし、家の中はぐちゃぐちゃのまま。みんなで行かないと何を持ち出すべきかわからないはず」と困り顔だった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000584-san-soci(産経Yahoo・リンク切れ)

動画がありました。

www.youtube.com

女性自身でも被災者の方々の激怒を報じています。

菅首相「靴が汚れる、臭い」暴言連発に被災者大激怒! 2011年04月12日 女性自身

4月2日、菅直人首相(64)が岩手県で震災被害が大きかった、陸前高田市を視察した。

だが、その振る舞いは被災者たちを凍りつかせるものばかりだったという。

「出発は早朝ということもあって、菅首相は、終始不機嫌そうな表情でした。顔には生気がなく、髪の毛には寝癖が残っていました」(首相官邸関係者)

陸前高田市ヘリポートに着いてから、市役所の仮庁舎に向かうマイクロバスの中のことでした。菅首相は、がれきの山となった市街地を見て、眠そうな目で『津波ってすごいんですね…』とつぶやいていました。まるで、人ごとのような口ぶりでした」(前出・官邸関係者)

同行したのは平野達男内閣府副大臣ほか。現地では陸前高田市が選挙区の民主党黄川田徹衆議院議員(57)たちが合流した。

「黄川田吟は、今回の津波で、実母と長男を亡くされました。また、妻と実父が今も行方不明です」(地元関係者)

今回の菅首相の視察も、黄川田議員が被災地訪問を訴え続けてきたから実現したという。

だが、菅首相が避難所の一つである、米崎小学校を訪れたときのこと―。

菅首相は、被災者が寝泊りしている小学校の体育館に、土足で上がろうとして、あわてて周囲に止められたんです。目を疑いましたよ (前出・地元関係者)

体育館に入っても、被災者への“心ない発言”が連発されたという。

「たとえば家族を亡くした小学生の男の子をつかまえて『ボク、やっぱり日本ハムのファン?』なんて。ここは北海道じゃないのに、質問の意味が不明です」(現地関係者)

ほかの被災者に感想を聞いても、菅首相の印象は悪い。

「最初は一人ひとりと話をしていましたが、あとは『頑張って』と、おざなりな言葉を一言かけるだけ。本当に心配してくれているとは、思えませんでした」(被災者の一人)

体育館にいた被災者には、怒りと不信感だけが残った。

「がれきの山となり、潮やガソリンの匂いが混じった市街地を歩いたときも『臭うな』と文句をいったり、おろしたての靴を気にして、泥水のたまっている場所は『靴が汚れる』と、避けていたり。地元の人間として、怒りを感じました」(別の現地関係者)

この首相の様子に視察を願い出た黄川田議員も、ショックを隠せなかったようだ。

「あの、すさまじい被災地の光景を目の当たりにして、涙ひとつ流さず、防災服や靴の汚れを気にしているような人に、国民の命は任せられないと漏らしていましたよ」(前出・官邸関係者)

http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG94/20110412/269/(女性自身Excite・リンク切れ)

NHKラジオでの菅総理避難所訪問後の女性被災者の言葉です。被災者に余計なことをさせるのが総理のお仕事のようです。邪魔なだけです。

菅総理にお願いしたんだけど、『頑張ります』ってお答えでした。

どのくらい頑張ってくれるんだか、どのくらい期待したらいいんだか・・・。

この到着することによって会場を綺麗にしてくださいとか、これはちょっと・・・あの、車を整理してくださいとか何でこの今大変なときにそんな体裁を作んなきゃないのかなぁと思って、ちょっと・・・これは意外でした」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14039027ニコニコ動画

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