この改造人事で特に目立つのは与謝野馨氏の内閣府特命担当大臣・経済財政政策担当です。このポストの前職は海江田万里氏。今回の人事で経済産業大臣を任命されています。
実は与謝野氏と海江田氏は同じ選挙区・東京1区での因縁のライバルなのです。
2009年の衆議院選挙では海江田氏が勝利、与謝野氏は自民党で比例復活です。
2000年の選挙では海江田氏勝利、与謝野氏比例復活なしの落選。
2003年の選挙も海江田氏勝利、与謝野氏は比例復活。
2005年の選挙は与謝野氏圧倒的勝利、海江田氏落選、比例復活もならず。
このように激しい戦いをしてきた二人です。その選挙区の敵同士の二人が同じ内閣のポストに就く。なかなかあることではありません。
与謝野氏の民主党政権における入閣が決まった時、自民党をはじめ、多くの国民から非難の声が起きました。与謝野氏が自民党から比例で復活当選しているからです。
与謝野氏は、2009年8月の選挙で自民党の比例で当選。しかし2010年4月文藝春秋誌で自民党執行部の批判記事を書いて執行部と対立、離党届を出しますが除籍処分となります。新党「たちあがれ日本」を平沼赳夫氏(衆・岡山3区)と立ち上げますが、2011年1月離党してこの菅第2次改造内閣に参画することになります。
民主党政権からすれば、ゴタゴタ続きで無能ぶりを露呈しているために、安定感のある閣僚を入閣させたかったのでしょう。与謝野氏本人も老齢ということもあり、残された時間で自分にできることを何か探したかったのかもしれません。2012年6月には咽頭癌の手術を受け声を失い筆談だけでの会話になり、次の選挙には出馬せず引退されました。2017年5月21日に逝去されています。
与謝野氏は、鳩山氏に対して「平成の脱税王」と国会で罵倒するなど、この政権に対しては敵対的な立場にありましたが、自民党、たちあがれ日本を離党して孤独を感じていたのと同時に、国民のために経済何とかしなきゃいけないという義侠心があっての敵対していた内閣の懐に飛び込む決断であったのでしょう。それは与謝野氏のある意味価値のある判断だったとは思います。しかし国民にとっては、この政権を早いところ退陣させることの方が必要でした。
なぜ横粂勝仁氏(衆・比例南関東)の名前が出てくるかというと、横粂氏も与謝野氏と同じ比例当選議員(民主党)だからです。横粂氏は、2011年5月に民主党に離党届を出し、菅政権の批判をメディア等で繰り返します。さらに6月の菅内閣不信任決議案に賛成票を投じたために除籍になりました。
この時「私は比例当選だから」と潔く議員辞職をしていれば、同じ比例当選の与謝野氏も辞任せざるを得ない状況に持ち込めたかもしれなかったのですが、横粂氏はその後も議員を続けて歳費を受け取っています。
比例で当選するということは、国民はその人物ではなくその政党に投票したわけです。その人物が離党して議員を続けるのには疑問が残ります。さらに与謝野氏のように敵対する政党の内閣に入るというのは、どんな理由があるにせよ、納得できないものがあります。
現在の制度上仕方がないのですが、政治家としての信条として恥ずるべきところではないのでしょうか?
この比例ゾンビという怪物は、この後も現在に至るまで数多く出現しています。