民主党政権3年3か月の研究

悪夢でした。二度と政権をとらせてはいけません。だから記録します。

◇辺野古への回帰①・仲井真知事との会談

2010年5月23日、鳩山総理は2度目の沖縄訪問で仲井真知事と会談します。その席で普天間基地辺野古への移設を明言、協力を求めるのです。

f:id:hate_88moshi:20190226005634p:plainf:id:hate_88moshi:20190226005756p:plain

朝日新聞です。

 首相「辺野古付近」「ヘリ部隊切り離し断念」沖縄知事に 2010年5月23日
 鳩山由紀夫首相は23日、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)・沖縄県知事と県庁で会談し、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設問題について、名護市辺野古周辺の海域に代替滑走路を建設する考えを初めて表明した。さらに「『できる限り県外』という言葉を守れなかったことを、心からおわび申し上げたい」と陳謝した。

 仲井真知事は「大変遺憾で、極めて厳しい」と述べ、辺野古への移設は困難という考えを示した。社民党も強く反発。地元、連立与党、米国が合意できる移設先を5月末に決めるという首相の約束は守れないことが明確になり、首相の政治責任が厳しく問われる事態となった。

 日米両政府は「辺野古周辺」を移設先として明記する両国の外務・防衛担当相(2プラス2)による共同声明を月内に発表する方針だ。その場合、社民党が連立政権からの離脱に踏み切るかどうかが政権運営の焦点となる。

 移設先とされた名護市の稲嶺進市長も、23日の首相との会談で「県民や名護市民への裏切りだ。到底受け入れられず、断固反対だ」と述べた。

 仲井真知事との会談で、首相は「辺野古付近にお願いせざるを得ない。断腸の思いで下した結論だ」と述べた。その上で「ヘリコプター部隊を切り離して移設すると、海兵隊の機能を大きく損なう」として、ヘリ部隊の一部を県外に出すことも断念し、普天間全体を辺野古に移す方針をはっきりさせた。工法や詳細な建設場所の調整はこれからだが、自民党政権時代に米国と合意した現行案にほぼ戻ることになる。地元の反発で工事に着手できず、市街地の真ん中にある普天間飛行場を使い続けなければならなくなる可能性も高い。

 首相は辺野古周辺への移設を決めた理由として「昨今の朝鮮半島情勢から分かるように、東アジアの安全保障環境に不確実性がかなり残っている」と指摘。「海兵隊を含む在日米軍全体の抑止力を現時点で低下させてはならない」と述べた。韓国の哨戒艦北朝鮮の魚雷で爆破された事件を念頭に置いた発言だ。

 首相は、沖縄の負担を軽減するために、米軍の訓練の県外移転を進める考えも強調した。しかし、移転先については「27日の全国知事会で協力をお願いしたい」と述べるにとどめ、鹿児島県・徳之島などの具体的な地名は示さなかった。同意を得られるメドが立たないためと見られる。

 一方で首相は、嘉手納基地以南の米軍施設・区域や、沖縄本島東側で良好な漁場と重なる米軍の訓練区域の返還などの沖縄県の負担軽減策について実現に取り組む考えを強調。「米側からそれなりの感触をちょうだいしている」と語った。

 北沢俊美防衛相は、日米共同声明の最後の調整を行うため、現地時間25日(日本時間26日)に米国でゲーツ国防長官と会談する。

http://www.asahi.com/special/futenma/TKY201005230078.html(朝日)

最低でも県外」が「できる限り県外」にトーンダウンしているところに、鳩山総理の心境が現れているようです。

仲井真知事も複雑でしょう。あの政権交代で「最低でも県外」で飛び上がって喜んで、「腹案がある」で期待して、結局元の自民党案に戻っただけ。虚しさ以外、個々には何も存在しません。残ったのは、はずみのついた反対派の後戻りできない感情。これが現在までず~っと尾を引いているのです。

仲井真知事は「大変遺憾で極めて厳しい」と返す他なかったと思います。しかし鳩山政権も、5月28日に辺野古移転への閣議決定、両国の外務・防衛担当相(2プラス2)による共同発表へと突き進む以外の道はありませんでした。

2プラス2 = 日本:岡田外務大臣・北沢防衛大臣 米国:クリントン国務長官ゲイツ国防長官

次へ→  目次へ→